札幌(とか)の銭湯を(おふろニスタが)行く

家が火事になりましてね。風呂がないんですよ。で、チャリで札幌の銭湯を巡っていたら、いつの間にかおふろニスタになっていました。中年男性がお風呂が好きだと叫ぶだけのブログです。

35,北区北31条 渥美湯

f:id:tkasaiii:20191016133106j:plain

多くの銭湯が腐海に飲み込まれている。

けっして銭湯に限った話ではない(自営業者の私も日々ふるえている)が、こと『銭湯』における腐海の進行はビジネスとしての課題だけではないようだ。

※私はただのおふろニスタであり、業界内部の事情などまったくわからない。あくまで「ニスタ」であり、「フリーク」であり、「客」だ。ここから先はネットなどで拾い読みした情報と推測が散見されるので注意してほしい。

銭湯(普通公衆浴場)には「補助金」が行政から出ているようだ。そのため、普通公衆浴場には新規参入が難しく、「その他の公衆浴場」に分類される「スーパー銭湯」と呼ばれる形態のみが増えていくという状態にある。

ここ数年起こっている痛ましい災害を見るにつれ、銭湯の公衆性や公共性が行政によって守られるべき種類のものであることは明白だ。

しかし、補助金によって守られていたとしても、新規参入がないならば、やはり存在は危ぶまれる。

後継者の問題である。

新陳代謝がないとはそういうことだ。

親の仕事を子が継ぎ、子の仕事を孫が継ぐのであればいいが、そうは問屋が卸さない。世の中の流れがそうなっていない。また、子がいない場合だって考えられる。脈々と受け継がれない血統も世の中にはある。

今あるものが失われれば、もう復活はない。

それは補助金があろうと、ビジネスとして成立していようともいかんとも知れない問題である。

渥美湯を思い出したら、こんなシビアな銭湯事情をふと考えてしまった。

ーーーーーー

銭湯を巡っていてときどき驚くのが妙齢の女性が受付をしているときだ。単純に私がどぎまぎしてしまうというのもあるのだが、おおむね銭湯の受付の方の年齢層は高い。

だからなのか、私はかなりの年月をいただいている人を無意識に想定しているようだ。その予想が覆ってしまうため、びっくりしてしまうのだ。

そんな銭湯業界の常とはいえ、渥美湯のご主人は相当なご高齢に見えた。おそらく今まであった銭湯の受付の方たちの中では最高齢。昭和1桁生まれだとしても驚きはしない。

おずおずとスタンプラリーの冊子にスタンプをお願いする。

するとご主人はちょっと戸惑った様子を見せたが、震える手で、力強く、しっかりと濃く押してくれた。

ーーーーーー

浴場は壁側のカランが潰してあるため、ゆとりがあった。平日の早い時間のため、お客さんも私1人だ。

これはあれだな。

北都湯でやって以来、人がいなければ必ず実行するおっぴろげニルヴァーナのチャンスだな。

主浴はラドン風呂。副湯は薬湯。ジェットと電気風呂がつながっている。すべてがぬるめ。

水風呂との交互浴から始めると、こちらもマイルドなひえひえタイプだ。

その中で唯一過激なのが、電気風呂だった。

いてててて

強烈なエレクトリカルパワーに驚いてしまった。

さぁ、気を取り直していざサウナだ。

ーーーーーー

気に入った。

入った瞬間で、完全に気に入った。

何がって、圧倒的に谷崎潤一郎『陰翳礼讃』なのだ。

暗い小部屋で、裸の男が、汗を流す。サウナってそうじゃないか!

これこれこれ!

あー、いいわー

この雰囲気が好きだわー

昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか

いいこと言うわー

ニーチェいいこと言うわー

ニーチェだわー

渥美湯はニーチェだわー

アツミユハニーチェダワ―

ヌルイハズナノニアセビチャビチャダワー

ーーーーーー

以前、千成湯で感じた郷愁。

それは幼いころから、変わらずにあり続けてくれたから感じられた貴重な感情だった。

おそらく渥美湯も、この地域にあり続けることで果たしている役割があるはずだ。

銭湯は存在し続ける。

それがあたりまえだと思っていた。だが、「あたりまえ」をあたりまえにし続けることがいかに困難か。この歳になると、それがわかってくる。

存在させ続けるために渥美湯のご主人は今も受付に座っているのだろうか。きっとそういう銭湯は渥美湯に限らず、日本中にあるのだろう。

私にできること。

それは大好きな銭湯にたくさん行き、あちこちで裸になることくらいだ。

それくらいしかできない。

だから、これからもどんどんいろんなところで裸になっていこう。まる出していこう。そして、あちこちでトンでいこう。

……これは合法な応援のはずだ。

次回、西区琴似『扇の湯』