サウナイキタイ(https://sauna-ikitai.com/)にサ活を投稿している。
ダイレクトに反応がもらえる上になんとなく「なかま」に入れてもらえている感覚がいい。大好き。
ただ、おそらく私史上最大級の苦難苦闘を味わった丸駒温泉のサ活に対する反応がにぶい。理由はわかっている。サウナについて書いていないからだ。
それでも、私は言いたい。
サウナとは関係ないことをもっと書きたかったのだ、と。丸駒温泉は、死生観を変えるのだ、と。
ーーーーーー【以下加筆修正版】
自転車屋の店主は言った。
「札幌のサイクリストの聖地は『手稲山』『銭函』、そして『支笏湖』だ」
私は素直だ。
言われたからには行くしかない。ただ、先に言ってほしかった。支笏湖をチャリで行くとこんなにきついだなんて……
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ずっと上りだ。どこまで上るのかもわからない。いつまで上るのかもわからない。不信感の塊である。ここまでくるとちょっとの下りなんていらない。どうせあとで上るんだから、とすさんでくる。
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途中で男女が「わ」ナンバーの車の中で抱き合っていた。
「やってんな」
通りかかる独身中年男性も感情を揺さぶられる。
今までどれだけの上り坂を上り、さらに下った分を上らされてきたことか。うららかな日和の中、北海道旅行に興じて、こんな何にもないところで、何かしてるんじゃあないよ。こっちだって、好き好んでやってる趣味だけどさ。
そんなすさんだ気持ちで横を通り過ぎると、助手席の女性の意識がなくなっている。男性も目に涙を浮かべてただただ抱きしめている。
え?
え?え?
通り過ぎてなお、上り坂は続く。
え?え?え?
自転車を止めてスマホを開く。圏外。
え?え?え?え?
何ができる?自転車の俺に何ができる?何もできやしない。でも、これ、だめなやつだ。何もしないことで一生後悔するやつだ。
坂道を戻り、助手席の窓をノックし、男性に声をかける。
「何かできることがありますか?」
「いえ、過呼吸なんです。よくありますから。大丈夫です」
真っ白い顔の女性を抱きしめながら男性は答える。
「ビニールとか、そういうのありますか?」
「はい、大丈夫です」
「すいません、お大事に」
自己満足のためだったのかもしれない。それでも、声をかけに戻らなくちゃならかった。それでも考えてしまう。
どうして、あんなに目に涙を浮かべなくちゃならなかったんだい?どうして、あんなに強く抱きしめなくちゃならなかったんだい?
「大丈夫」という言葉は本当に大丈夫なのかい?
あの男女は今、笑顔で抱きしめあえているのだろうか?
きっとそうだ。大丈夫とはそういうことだ。それだけが大切なことだ。
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時間もかかる。丸駒温泉に到着するまでに気力のほとんどを使い果たしている。
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丸駒温泉の看板を見て、ほっと胸をなでおろす。ボロボロだけれど、着いたのだ。私はやり遂げた。しかし、そこからまだ3kmあるらしい。
その3kmを進む間、鹿があらわれる。しかも、こっちに向かって突進してくる。思わず叫ぶ。「てめぇ、鹿!この野郎、鹿!」こちらに余裕などない。話の分かる相手で本当によかった。
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「当店の日帰り入浴は15時までになっております」
この言葉ほど絶望的なものが世の中にあるだろうか?いや、ない。
中年男性が全力で同情をかうための表情を浮かべ、赦しを請う。
「札幌から……自転車で……来たんです」
「1000円になります」
粋な店員さんだ。私は幸せ者だ。
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やはりここの温泉のロケーションは別格だ。
日本最北の不凍湖・支笏湖。それを眼下に温泉に入るのだ。これだけ疲れた体に茶色いおふろがしみないわけがない。そして、融通をきかせてくれた道産子の情に心も温まる。
ニルヴァーナだなんだなど些細な話だ。水風呂がないからなんだってんだ。サウナがないからなんだってんだ。
浴場から裸で歩くこと15m。その先に岩風呂露天風呂が待っている。こいつがここのメインだ。この場所のために俺は来たのだ。
体は疲れ切り、ただただ温泉と支笏湖の姿を求めている。
波の音。秋の空気。足元の小石の感触。
お湯だけではない。環境も人もすべて含めておふろなのだ。俺はこれを求めていたのだ。
また浴場に戻り、デッキの露天風呂へと戻る。
ここだって大したもんだ。目の前に北限の不凍湖が広がり、飲める温泉がすぐそばに据えられている。これがほんの少し塩味を帯びていておいしい。飲める温泉がおいしい。なんだったら、ちょっとした出汁感すら感じる。こんなバカな話が北海道にはあるのだ。
そして、浴場に戻る。
……あれ?
目の前に扉がある。
どうせ従業員オンリーの木の扉だ。ここにはサウナがないから。
目を凝らす。
……サウナだ。
ここ、サウナあったんだ。
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くたびれた体にサウナが身にしみる。90℃を指しているがいつまでも入っていられそうだ。暗めの照明、手の届く狭さ。静かなクラシック。そして、鼻をくすぐる甘い木のにおい。五感が研ぎ澄まされる。
水風呂はない。だが、ここには秋の空気がある。支笏湖の透明な水で冷え切った大自然の空気だ。
支笏湖をのぞくウッドチェアのある露天。圧倒的なまでのロケーション。トブ。そして、浴場から15m離れた天然の岩場を利用した露天。目をつぶると波の音がどこから聞こえてくるのかわからなくなってくる。もしかしたら、私の体は溶けてしまったのかもしれない。自分が支笏湖の一部になった錯覚に陥る。
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「え?今から自転車で札幌に帰るの?」店員さんは言う。
「はい!熊さんが怖いですね!」精いっぱい元気を装って答える。
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なんせ私はとてもとても熊が好きなのだ。
熊の生態を調べに調べた。そして、いつも見つかるのははちみつがおいしいだけの彼らだけではなかった。三毛別。ワンダーフォーゲル。ロシアの生電話。
あいつらと共生している道民は異常だ。どう考えてもそういう結論にしかならない。そして、2019年に度重なる北海道に出現する彼らのニュースだ。
笑いごとではない。でも、笑いごとではないことを笑いごとにしなければ、何を笑えばいいのだ。
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本当はとても怖かった。今、このサ活が書けていてよかった。もう自転車で行こうとは思わない。たぶん。
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なぜなら、「ここまで自分の命に固執するのか」という本能に嫌気がさしたからだ。
暗闇の中で聞こえる鹿の威嚇する鳴き声。ふいに漂う獣臭。頼れるのは自転車のライトだけ。それも充電が心もとない。
あまりの不安に心臓が高まる。BPMは190になっている。
怖がる自分が情けない。命を惜しむ自分が情けない。
ここから学んだこと。
それは「命を大事にするか。それとも命をいつでも捨てられるようにするか。どちらかはっきりさせるべきだ」ということだ。
命は粗末に扱うべきだ。
利根川がのたまった詭弁はもしかしたら真理なのかもしれない。布団の中で考えたことを今でもよく思い出す。
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わりと人生観の分岐点だった。
だから、もっと読んでほしいと思い、ここに再現する。
でも、これを再編集している今の私が熱にうなされながら、「あー、新しい仕事ってめんどくせえなぁ」とジャージでうなっているという事情は私だけの秘密だ。