札幌(とか)の銭湯を(おふろニスタが)行く

家が火事になりましてね。風呂がないんですよ。で、チャリで札幌の銭湯を巡っていたら、いつの間にかおふろニスタになっていました。中年男性がお風呂が好きだと叫ぶだけのブログです。

39,東区北27条 大学湯

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「てめえら!この状態が今何を意味しているかわかるか!俺はど真ん中に立ったんだぞ!」

長州力は吠えた。

それはリングの『ど真ん中』という意味だけではない。新日本プロレスという会社の、レスラーたちの、男たちの、生き様の『ど真ん中』だ。

長州のこの言葉を思い出すと、つい最近、古い友人に激しく(怒気を含みながら)指摘された言葉がよぎる。

「いつまで変化球ばかりを投げ続けるつもりだ。そんなことばっかりやっているから、まっすぐ真ん中にボールが投げられなくなるんだよ!いい加減気づけよ!」

慣れない気づかい、へたくそなりの処世術、臆病な自尊心、尊大な羞恥心、体と心にへばりついたあれやこれを身にまとい、ど真ん中から少しずつ少しずつ外れてきた。

私はいつの間にかど真ん中にも、まっすぐにも、自分の思いを表現できなくなっていた。

長州や旧友は、私になにかを気づかせようとしている。

そのなにかとはなんなのだろう。考えども考えども、それ以上先に進むと危険だと思う地点から思考が進まない。進めない。

≪「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて、だれも奪いにこないのに鍵かけて守ってる。≫

長州の言葉。

旧友の言葉。

桜井さんの詩。

40手前の感情を揺さぶる数々のありったけの思い。その答えは、札幌の銭湯スタンプラリーのゴール地点『大学湯』が体現している。

悠然と、あるがままに。

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なじみのない土地だと、それだけ発見も多い。単純に私が方向音痴だから、たどり着くまでにいろいろとぐるぐるしなければいけない、ということでもある。チャリだし。

大学湯。

不思議なネーミングだ。しかし、この迷い道のおかげで、名前の由来らしき場所に行きつく。

『大学村の森』

今まで、その存在すら知らなかった森。だが、ここは公園ではない。間違いなく「森」だ。はからずも入浴前に森林浴をすることとなる。

おふろと自然との親和性は高い。フィナーレへの序曲としてこれほどふさわしいものがあるだろうか。

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大学湯はバンダイスタイル。きれいなおかみさんが「ぎりぎりでしたねー」とスタンプラリーの達成をささやかにお祝いしてくれる。

脱衣所の時点で清掃がいきわたっていることがわかる。

浴場に入って驚く。

主浴。

副湯。

以上。

これほど潔い銭湯はあったか。最後の最後、大学湯は思い出させてくれる。銭湯とはおふろに入りに来る場所なのだ。

おふろに入ることは「ハレ」の出来事ではない。日常の営みだ。特別ではない。多くの自宅では味わえない、サウナ、薬湯、ロウリュ、打たせ湯、水風呂などの素晴らしい設備。それらは日常の中にある非日常だ。

「ケ」の日。

かつて、日常とは「ケ」の連続だった。その「ケ」の日をささやかに彩るのが銭湯だった。

思わず口笛が吹きたくなる。

『これが銭湯のど真ん中だったんだ』

最小限の必要なもの。それ以外は余計な装飾品だと言わんばかりのたたずまい。ここが、原点だったのだ。

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目地の1つ1つまでいきわたった清掃に頭を下げる。

主浴は熱め。副湯はそれよりも少しぬるめ。

セッション?

いやいやいやいや。

ニルヴァーナ

いやいやいやいや。

ここにあるのは「ほへー」だけだ。

足の伸ばせる風呂で「やれやれ」と思いながら、日々の疲れを深い深い呼吸でやり過ごす。体にまとわるどこまでも透き通るあたたかいお湯の中で「まっいっか」とうそぶく。

こんな日々くり返しながら、我々は人生の荒波を乗り越え続けてきた。これからもこの日常が続くといい。そんなささやかな願いを自然に祈ってしまう。

「ほへー」

そう呟き、ふと壁の掲示物に目を向ける。

『ブラックシリカで、波動の力を!』

ね。波動の力だよね。

きっとこの荘厳な気持ちや鮮やかな感動は波動の力のおかげだよね。

……

……え?

…………波動の力?

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胸に込み上げてくる達成感と満足感を抱えて、大学湯をあとにする。そして、もう1度『大学村の森』へと向かう。

風に揺れる緑が耳に届く。

すべてが埋まったスタンプラリー。

葉の隙間からもれる光が冊子を照らす。

「ああ、これでおしまいか」と少しだけさみしさも込み上げる。

最後が大学湯でよかった。

このスタンプの数の経験が、多くの銭湯のよさを味わえる体を作ってくれた。

たしかに設備や、サービスが充実していれば、最高だ。だが、喜びや満足はいつも外側ではなく、内側にある。満たされた場所でしか満たされない。それはきっとさみしい人生だ。

大学湯が体現し続けるストロングスタイルは、まさに『今の私』に足りないものだった。それを受け取るだけの器。きっとスタンプラリーの序盤に来ていたら、理解できなかったのではないだろうか。

このスタンプラリーを通じて得たのはシンプルな結論だ。

『人生は楽しませてもらうよりも、楽しむ側に』

いらないものを身にまとうのではなく、必要なものだけを持ち、可能な限り、ど真ん中に、まっすぐと楽しんでいきたい。

なんせ、人生はただでさえつらい。つらい人生を楽しもうというのだから、それはきっと命がけの挑戦だ。そのために、銭湯はいいパートナーになってくれる。たぶん。

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この日から私は銭湯初心者からおふろニスタとなった。

これからも私は気の向くまま、いろいろな場所で裸になっていく。きっとポロリもあるはずだ。楽しみにしていてほしい。

(了)