せん湯とごはんvol.1)豊平区美園『松竹湯』と豊平区美園『キッチン一力』
これほどまで難解な人生という長い旅路を、勝ちか負けかの単純な二層構造でできているとしか理解できないのに、自分は『勝ち組』だと恥ずかしげもなく信じて疑わないでいられるおめでたさを浮かべたような笑顔で、昨今のサウナブームの牽引者がインタビューに答えていた。
「僕は15,000円以上のお寿司を食べる前にはサウナに行くんですよ(笑)」(※引用ではありません。記憶です)
(笑)を使わなくてはいけない場面ほど、シリアスなとげが見え隠れする。これは、その事例の教科書だ。
口に入れれば身もだえするお寿司についてすら、数値化せねば、おいしさを表現できない。その単位は『¥』だ。
そこから垣間見えるトップサウナ―の自意識に目頭が熱くなる。
自称サウナの牽引者が美味しんぼ1巻『寿司の心』を読んでいれば、(わかりやすさを追求するサービス精神のあらわれとはいえ)短絡的に値段で味を表現するような下品なことをしなくて済んだはずだ。残念だ。
だが、サウナのトップランナーはこの記事で1つ的を射たことを言っていた。
「おふろ(サウナ)のあとの『ごはん』はうまい」
たしかにその通りだ。
すごくうまい。
それも暴力的にうまい。
非人道的にうまい。
理性がなくなり、人前で踊りだしたくなるほどうまい。
「これをあの人と食べたいな」と不意に思い、それがかなわない現実にほろりと涙がこぼれてしまうほどうまい。
サウナやおふろのあと、触覚、嗅覚が鋭くなっている実感はある。しずかな銭湯だと聴覚の感度も上がっている気がする。
ならば、味覚もまた同じなのかもしれない。
もちろん、私はただの「ニスタ」なので、科学的・医学的知見は持ち合わせていない。しかし、トップがお墨付きをくれている。だから、たぶん事実なのだろう。トップサウナ―はさすがトップだ。
ならば、私は己を高めてうまいものをもっとおいしく味わいたい。
なんせ人生はつらい。
つらいものを楽しもうというのだから、生きることは命がけだ。そんな挑戦の最大の味方はやはり充実した「食」による彩りだ。
おいしいもののためなら死ねる。
生きるためにする食事のために命をかけるという矛盾。そのいびつさが愛おしくてたまらない。
こんな不器用な自分を今後も抱きしめていくために、今(2020.2)万全の肉体で味わわなければならないお店が札幌にはある。
それが豊平区美園にある『キッチン一力(いちりき)』だ。
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『キッチン一力』は環状通沿いに長年営み続ける洋食店だ。隣にはチェーンの蕎麦屋が派手に立っている。そこもおいしいから、客としては(蕎麦に対する偏愛のため)選択に困る。だが、そんな迷いでは『キッチン一力』はびくともしない。
なにせ、一力はどれもこれもがうまい。
エビフライがうまい。
カニクリームコロッケがうまい。
ハンバーグがうまい。
ポークチャップがとんでもなくうまい。
つけ合わせのポテサラもまたうまい。
なにより、必ずついてくる味噌汁がうまい。
ほんだしの味噌汁しか飲んだことのなかった若いころの私は目玉が取れるかと思った。
唯一無二の洋食屋。それがキッチン一力だ。
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一力の2020年2月末の閉店の知らせは私を動揺させた。最近、足が遠のいていた自分をしばらく責めた。
だが、経営の悪化などが原因ではないみたいだ。それは当然だろう。なんせ、あの『一力』なのだから。
閉店はシェフの年齢的な問題らしい。
初めて一力を訪れた、まだ私がぴちぴちの若者だったときから、マスターはすでにおじいちゃんだった。
それからぷりぷりの若者には白髪が生え、髪が薄くなるほどの年月が経った。
仕方がない話だ。
とはいえ、もう2度と食べられないなんて……そう思うといても立ってもいられない。
だったら、一力が歩んできた歴史に敬意を払うべく、一番感度の高い私になって、最後の一力を味わおう。
自分のアンテナを高める。
豊平区美園。
だったら、あそこだ!
私は自分を高めるための場所を『松竹湯』に決めた。
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さつよく銭湯スタンプラリーを終えた私は、すっかり松竹湯に足を運ばなくなった。
理由はいたって簡単。
水風呂がないからだ。
やはりどうしても銭湯に水風呂を求める私がいる。そこに嘘はつけない。
だが、今回は「感度を高める」のが目的だ。水風呂はなくとも、松竹湯には水シャワーがある。
私が楽しまされるのではなく、私が楽しみにいく能動性が今はより求められる。アンテナを張り巡らせ、楽しみきったあと、研ぎ澄まされた状態になるのだ。
そして、これでもかと鋭敏になった私は肉汁でパンパンに膨れ上がったポークチャップを、かつてないほど敏感になった舌で味わうために大きくカットし、繊細な口いっぱいに放り込むのだ。
きっと、噛むたびにかつてないほどの味覚の洪水が脳髄に流れ込んでしまう。
想像するだけで気を失いそうだ。
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初めて松竹湯訪問のさいは、予備知識がなかった。そのため、水風呂がないことに驚いてしまい、細部を見ることができなかった。
しかし、今回は事前に雨が降ることを知っている。
ならば、心に傘を持っていけばいいだけだ。それも、お気に入りの傘を。そうすれば、雨はまるでこのスナフキン柄の傘を見るための舞台装置に早変わりしてしまうようだ。
そう思うと、なんだかスキップしてしまいそうだ。自転車だけど。
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改めて見てみると、松竹湯の浴場は記憶よりずっと広かった。
おそらく浴場の真ん中に置かれた桶と椅子を、なにかの設備と勘違いしていたからだろう。
そして、白い。
白い空間は非現実感を増す。精神と時の部屋効果だ。
まずは、体をスタンプラリー達成の景品でもらった『ケロリンあかすりタオル』でガシガシ洗う。これをさりげなく使うことで「玄人感」を演出できる。
ふふん。思わず鼻息が漏れる。
ピカピカになった体で主浴へ。
ジェットバスとバイブラと寝湯が一体化した、おそらく当時(いつかはわからない)の最新型だ。ストレスの少ない湯温。
ほどよく温まったら、首筋に冷水シャワーをあてる。
ちんちんだ。
そりゃそうだ。ここは北国札幌。本気を出した水がぬるいわけがない。
よいぞよいぞ。
そして、飲料水。
少しひねるとぶっしゃーと飛び散る。0か100しか加減できない不器用さに自分を重ねる。まだ少し鈍感な口の中に容赦なく水をぶち当てる。冷水シャワーよりずっとぬるい。体に水分がなじむ。
次は電気風呂。ふむ、ゆるい。いける。今の私は君のよさが少しわかるよ。あのころとは違うんだ。大人になったって思ってくれるかい?(アラフォー)
さ、いよいよ、スチームサウナだ。
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むはっ。
白いガラス部屋が、白い蒸気で満ちている。設置された三脚の椅子も白い。
熱はそこまで高くない。でも、足元まであたたかい。天井が低いからだろうか。
椅子に座り、目を閉じる。やや下を向き、蒸気が噴出される音に集中する。
うん。高まる。高まってる。
マイルドゆえに、サウナ室の中で感度の上昇を感じる。音がクリアになる。サウナ室の外の咳払いが聞こえる。わき腹を流れ落ちる汗の道筋がわかる。
いいぞ、いいぞ。
汗の流れた場所を指で確かめる。
やん。
敏感にもほどがある。だが、これはいい兆候だ。ちょっとすりすりしてみよう。
……え?
……垢出てない?
いや、これ垢だよね?
待ってよ!さっきゴリゴリにこすったってば!ケロリンぞ?ケロリンのアカスリタオルぞ?
すりすり。
あ、だめだこれ。垢だ。
すっと立ち上がり、冷水シャワーをカットし、カランに戻る。今度はちょっとタオルでこすってみよう。
すりすり(腕)
ばりばりばりばりばりばりばり
えー?なんでー?なんなんだこれ!ぎゃー、全身じゃねえか!こすればこするほど垢がボロボロ落ちていく!
心の中の仗助が叫ぶ。
「億泰!もうやめろ!肉までえぐれてる!集めた垢がソフトボールくらいになっちまってる!」
ぎゃー!!!!軽い!!
仗助!今までこんなことなかったのに、お肌がしっとりぷるぷるなんだ!
というか、俺、億泰じゃねえぞ、仗助!あと、他人の垢を集めて丸められるって、すげえな仗助。
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思わぬ脱皮を終えた私はまたスチームサウナに戻る。
すりすり。
よし、今度は垢は出ねえな。
なんでだろう?このスチームになんかあるのかな?
くんくん。
あれ、さっき気がつかなかったけど、なんかにおいするかも?
ハッカ?
んー、確信は持てないけど、かすかになんかの匂いするなー。
はッ!!
敏感になってる!あたし、びんびんになっちゃってる!
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松竹湯をあとにする私の頭は、かつおだしの香る味噌汁に埋め尽くされている。いや、いりこかな?
脱皮を終えた今の私なら、どちらかを判断するなど、容易なことだろう。
サクサクの中のクリーム。その中のカニの種類だってわかるかもしれない。
長時間煮込まれたデミグラスソース。
肉汁で膨らんだ豚肉。
ペダルを踏む脚に力が入る。頬をなでる冷たい風は今の私にはごちそうだ。
そして、念願の瞬間。
嘘でしょッ!!