せん湯とごはんvol.3)白石区東札幌『共栄湯』と豊平区豊平『やきとり真』
贅沢は敵だ。そう思って今までこらえてきた。
だが、それはおおむね功を奏すことはなかった。
無理な我慢が鬱屈した人間性を形成し、その発散のため、多くの破壊衝動に身を委ねざるを得なかった。
若かりし頃、北海道有数の名水の産地、羊蹄山の『ふきだし公園』で、私は破壊衝動に身を任せ、セイコーマートで買ったボルビックを水が湧いているまさにその場所でまきちらしたことがある。それも、1リットルもだ。そのときから羊蹄の水は純度100%ではなくなってしまった。「純白を汚す」という意味しかない不毛な愚行。
あまりにもワルすぎる。京極出身の友人は未だに許してくれない。
命……夢……希望……どこから来て、どこへ行く?そんなものは、この私が破壊する!!
贅沢をつつしむあまり、私はひねくれてしまった。あれから20年。この歪んだ性根は、今も変わらず、心の奥底でくすぶり続けている。
だが、もう40も手前だ。あのころと同じ無軌道なことはできやしない。自分を傷つけるような発散の仕方はもう終わりにしよう。私はケフカではない。
そんなとき、懐も心も痛まず、誰も傷つけず、精いっぱいの贅沢を味わえる場所がある。それも、たった550円で。
『オージュア』
これはシャンプーとトリートメント、合わせて12000円もする未知の領域の名である。
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気圧……花粉……コロナ……どこから来て、どこへ行く?
私の我慢は限界に達した。もうだめだ。もう欲望に身を任せたい。
私はきれいなおじさんになりたいッ!
思いついた瞬間、私は共栄湯にいた。
共栄湯で実施されているレンタルシャンプー100円。
その中に『オージュア』はある。
我々、おじさんにはなじみがないが、口コミの中では「もったいなくて1週間に2回しか使えません」という切実な女子の声すらある逸品だ。
「あ?なんでシャンプーなんかにそんなお金かけんだよ?頭なんて、洗えりゃいいだろ?」
お待ちなさい。それが、おじさんのよくないところですよ。自分のわからない世界をまず否定から入る。そうやって、自分のささやかな世界を保とうとする。拡張を拒み、残された人生を閉じられた世界で生きていく。
老いていくっていうのは、降り積もった年月をこれからの人生に生かしていくってことじゃないのかい?培った経験を使って自分の世界を広げていこうとは思わないのかい?
とはいえ。
……ねぇ?
……でも、ねぇ?
シャンプーとリンスに12000円って、ねぇ?
ちょっとやりすぎじゃないんかねぇ?
そもそもリンスとトリートメントってなんか違うのかいねぇ?
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プッシュする手は震える。なにせ、おふぃすれでぃが「もったいなくて1週間に2回しか使えない」くらいの代物なのだ。
手に取ったオージュアは無色透明。香りはほんのりと匂いたつ程度。いつも使っているシャンプーのほうが圧倒的に強い。
ふむふむ。そうかそうか。
洗い流して、トリートメント。
ほうほう。
はいはいはいはい。
うむ。
わからん。
まぁ、いい経験をしたってことで、サウナ・水風呂・交互浴に行こう。人間、切りかえが大事だ。
共栄湯の奥の超ぬる湯は交互浴の間に挟むと、至極の時間になる。しょせん、おじさんにはファビュラスなんてわかりゃしないんだ。そのかわり、俺は温冷交代浴の気持ちよさを知っているのさ!
はー、あっちー。あつ湯、しっかりあっちー。
はー、ちべてー。水風呂、しっかりちべてー。
ハー、ヌリー。ヌルユ、シッカリヤサシー。
ハー、ビチョビチョー。サウナ、シッカリビチョビチョー。
ハー、チベテー。ミズブロ、シッカリチベテー。
ハッ!気がついたら、ニルヴァーナ来ちゃってんじゃん。困ったなぁ、こんなにちょろい体になってるんだなぁ。ポリポリ。
……
……え!!!
なにこれ!
ツルツルじゃん!!!!!
髪の毛の摩擦抵抗がぜんぜんなくなってるんだけど!!!!
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脱衣所で髪を乾かす。自分から今まで感じたことのないふわりとした芳香が漂っている。
感度があがった体が、先ほどいまいち感じられなかった匂いを敏感にとらえている。
それに髪がしっとり、ふわふわなのだ。
「これが……あたし……?」
心の中でそうつぶやくと、「ここは舞台、あたしは女優よ」という強い気持ちがむくむくと膨らんでいく。
このまんまじゃ、あたし、帰れないわ!
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共栄湯からの帰り道、元気でかわいらしい女性店長が切り盛りをする焼き鳥屋さん『やきとり真』に寄り道をする。
ファビュラスを身にまとった今、ここがもっともふさわしい場所に思えたのだ。
全身の感度は共栄湯によって、極限まで高まっている。そして、私のファビュラスおじさんっぷりはオージュアによって過去最大級だ。もしかしたら、店長さんに「あれ、今日、なんだか髪がふわふわ!どうしたの?」なんて言われちゃうかもしれないのだ。のだのだのだともそうなのだ。それは断然そうなのだ。
そんなわくわくした気持ちで、料理を待っていた。
何気ない酢モツ。
ファビュラスファビュラス妄想していて、何の覚悟もなく、酢モツを口に運ぶ。すると、鼻腔をぶん殴られてしまった。
鼻の奥まで貫かんばかりに香り立つジャパニーズハーブッ!!!
「え?これ、なにの風味?」
香りはすれど、なにかがわからない。小腸のくにゅくにゅ、砂肝のこりこり、口の中で炸裂し続ける鮮烈な香り、酸味で次の一口が止まらない。
よく見ると、酢モツの中には刻んだ生姜が入っている。これが正体だったか。
「じゃあ、生姜の匂いがわからなかったってこと?」と少し自分の味覚にがっかりする。でも、それは許してほしい。
『やきとり真』の酢モツには、生姜のわずかな辛味すら感じられないぐらいの仕事が施されていたのだ。辛味が消えた生姜の香りが、途端にとんでもないジャパニーズハーブに変わるなんて知らなかった。
やべえ。浮かれている場合じゃないかもしれん。
本日のおすすめバラ巻きアラカルト。見るからにして、こいつはとんでもなさそうだ。
まずはブロッコリーから。
一口目に襲ってくるのは炭の香りだ。そのあとに豚肉の脂とブロッコリーが口の中で混ざり合う。
マイタケの強い匂いは炭の香りとまじりあい、豚の脂が包む。
極めつけはレンコン。
口の中がしゃきしゃきのじゅぷじゅぷだ。
唾液がとめどなくあふれる。混じる。かみ砕く。心地よいレンコンの抵抗。香り立つブロッコリー。炭の匂い。繰り返される諸行無常。よみがえる性的衝動。
そして、最後の一口でピンクペッパーが弾ける。
幸せなフィナーレだった。
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お会計を支払うと、かわいい店長さんときれいな店員さんがお見送りをしてくれた。
「また、どうぞ。お気をつけて」
ほくほくした気持ちが心に広がる。
ああ、最高だ。これは超贅沢をしてしまった。明日からもがんばれそうだ。気圧?花粉?コロナ?かかってこいや!!
……でもな。
オージュアには気がつかれなかったな。
ファビュラスだったんだけどな。
いい匂いするんだけどな。
そんな乙女心を抱きながらおじさんは帰路についた。