せん湯とごはんvol.5)石狩市弁天町『番屋の湯』と札幌市中央区大通西2丁目『サンドイッチの店 さえら』
桃。
それは世界一おいしい食べ物の名だ。
少しかためのものをキンキンに冷やす。次に、表面の産毛が気にならなくなるくらいまで流水で洗う。皮は剥かない。
それをそのまんままるかぶりする。
手にしたたる果汁をちょっと下品だな、と思いながらも口でちゅぷちゅぷ舐めとってしまう。
鼻腔に甘い香りが突き抜ける。
舌に夏が広がる。
歯でしゃくしゃくととぅるとぅるの間の感触を何度も楽しむ。ときには上あごと舌でくちゅくちゅと押しつぶしてみる。
名残惜しい気持ちをおさえて飲み込む。
我慢などせずに二口目にかぶりつく。
また口の中で皮がぷつんと弾ける。
垂れる果汁。繰り返される恍惚。
これが恋なのだろうか。それとも愛なのだろうか。思い出すだけで、好きという感情があふれる。
だが、別れは突然やってくる。
高校時代、桃アレルギーを発症してしまった私は、それから2度と桃を味わえていない。
唇が腫れる。喉のかゆみがあらわれる。体に蕁麻疹が出る。目が腫れる。垂れる果汁に反応して肌が荒れる。
呼吸がしにくくなる。
一瞬、死が頭をよぎる。
桃を皮切りに私のアレルギーは加速していった。
数え上げればキリがない。
スーパーに並ぶフルーツのほとんどは食べられない。いくら愛しても、フルーツは私を愛してくれない。食べたことのない果物も、ここまでアレルギーが進行してしまえば、何が大丈夫で、何がだめなのかなど、もはやわからない。
だが、食べたことがないもので、食べられそうな果実がTwitterのタイムラインにあらわれた。
その名は『シャインマスカット』
これは女房を質に入れてでも行かんとッ!!(独身)
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札幌の喫茶店の老舗『さえら』。
おしゃんな方々がフルーツサンドに舌鼓を打つ店。
今までの私なら単騎で特攻しようとは露にも思わないであろうお店だが、『シャインマスカットのサンドウィッチ』となれば話は別だ。
シャインマスカット。話には聞いたことがある。
曰く、「マスカットとは別物」
曰く、「今までのぶどうは何だったんだと思った」
曰く、「高いと思ったけど、食べてみたら安い」
そんなうまいものが、生クリームとパンに挟まってんだってんだからたまったもんじゃない。生クリームだって、パンだって、ほっといたってうまいんだから、そんなものこの世の終わりとハードボイルドワンダーランドだ。
ありったけの勇気の鈴をリンリンと鳴らし、階段を下りる。店内飲食ではなく、テイクアウト。愛と勇気だけが友だちでも、1人でこのお店で食べるのはちょっと無理だ。
完成までは20分くらいかかるというので、大通公園でくつろぐ。
踊り狂うティックトッカー。
オフ会をしているであろう男女。
ママとパパ。笑顔の子ども。あたたかい家族の光景。
シャインマスカットサンドウィッチを待つ中年男性。
なんて多様性あふれた公園なのだろう。
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完成したサンドウィッチには保冷剤とおしぼりが入っている。ささやかな気づかいがそえられている。
それを味わうためには、私も最高のシチュエーションをもって迎え入れざるを得まい。
どこがいいだろう。
生まれて初めてのシャインマスカット。『さえら』のおしゃんてぃなサンドウィッチ。どこがふさわしい?
『……ば』
また、声が心の中でひびく。
『……んば』
???
『……んばんば』
!!??
『……んばばんばんば』
めらっさめらっさ!!!
青い海が呼んでる!白い波も歌ってる!
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大通公園からもっとも近い海と言えば銭函だろうか。たしかに札幌市民にとってはとてもお手軽な海だ。
車ならば、だが。
チャリンコ乗りの私にとって、思いつきでいけるほど銭函への道のりは容易ではない。坂が多すぎる。
私だってバカじゃない。それはあまりに無謀だ。
必然、私は石狩へと向かうことにした。石狩平野というだだっ広い平地を貫く石狩街道を鼻歌交じりでこぎ続けていればいつかきっと海にたどり着ける。それが石狩だ。それが北海道だ。
ペダルをこぎ始めるとすぐに道路の走りやすさに気がつく。
日ごろ、「無駄だな」なんてうそぶいていた道路工事は、こうやって恩恵を市民にもたらすのか、と独り言ちる。
やるなぁ、田中角栄。
田中かくway
by the way
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来たッ!!
海だッ!!
シャインだッ!!
サンドウィッチだッ!!
激烈に抱えた空腹に耐えられず、ビーチに自転車を投げ出し、シャインマスカットサンドウィッチにかぶりつくッ!!
……甘い。
…………うまい。
…………………うますぎる。
なんだか少し泣けてくる。甘いとうまい以外の感想が出てこない。
ちょっと落ち着いて、コンビーフサンドウィッチを食べる。
……しょっぱい。
…………うまい。
………………うまぁああいッ!!
ふごふごふごふごふごふご
ふごふごふごふごふごふごふごふごふごふごふごふご
ぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひぶひ
……………あれ?
俺のまわり、人がいない。
俺のまわりにだけ、人がいない。
これがソーシャルディスタンシングの力か……
コロナめ。
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なんか疲れた。
おで、なんか疲れた。
癒されたい。もふもふ。わんちゃんもふもふ。
わんちゃん。
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石狩浜すぐ近くの温泉宿『番屋の湯』では、カピバラのゆきちゃんが我々を迎えてくれる。
疲れた体をモール温泉で癒すだけでなく、ゆきちゃんが(ガラス越しに)もふもふで心まで癒してくれる。
もう着ている服すら重い。履いているズボンすら不愉快だ。パンツなんてもってのほかである。ゆきちゃん、ごめんね。俺、早くトビたいんだ。
名残惜しいゆきちゃんとの別れ。
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番屋の湯は、熱湯と超ぬる湯を準備してくれているのがありがたい。
それに加え、海風を浴びられる露天風呂、ぬる湯、寝湯。もちろんすべてぬるぬるタイプのモール温泉。そして、サウナ、水風呂が控えている。
まずは熱湯。
熱い。
よいぞよいぞ。
いい。
とってもいい。
さ、水風呂、水風呂。バイブラなしのキンキンタイプ。
じっくり体を冷やそう。
で、外気浴。
はー、思えば遠くに来たもんだ。
平野っつっても、大変だったなぁ。
シャインマスカットうまかったなぁ。
でも、コンビーフもあんなにうまいとはなぁ。
コンビーフ缶ってキコキコアケルタイプじゃなくなったんだよなぁ、確か。
ジダイのナガレなのかなぁ。
ジェダイノナガレカ
シルベスタースタローンシュエンロッキーフォー
タナカカクエイシュエンロッキード
最近、最初の熱湯→水風呂で遠くにトベる。老いが怖い。
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じっくり2時間温泉を楽しんだ後、また海岸へと向かう。
夕暮れまでにはまだ時間がある。だが、昼ほどの明るさはない。少しだけ夜の足音が近づいている気配がする。
くつろぐ家族。キスする男女。騒ぐ男たち。はしゃぐ女たち。
海だ。
風景を、空気を、それを味わう余裕が生まれる。
夏だ。
全身で季節を味わえる。この非日常の光景が、自分が今、現実の世界に存在していることを教えてくれる。
『今』って、なんなんだろうな。改めて感じる疑問を胸に立ち上がり、おしりについた砂をはらう。
さぁて、帰るか、SFみたいな日常へ。
1つ伸びをして、私はビーチをあとにした。
……
…………
………………
え?
こっから札幌帰るの?
チャリで?
マジで?
え?