銭湯四方山話 その弐)てれび
最寄の温浴施設は銭湯だろうか。スーパー銭湯だろうか。それとも温泉?
いずれにせよ、今は浴場内(サウナ室内)にテレビが設置されている場合が多い。
「テレビはないほうがいい」という人も「あったほうがいい」という人もいる。が、どっちだって楽しめればそれが一番いい。
演歌が流れていれば、それを。ポップソングが流れていれば、それを。昭和歌謡が流れていれば、それを。地元密着型の番組が流れていれば、それを。スポーツ番組が流れていれば、それを。何のBGMもなければ、その静寂を。
どんなものでも楽しめる人間が人生を楽しめる。
私はそう思う。
だが、ミヤネ屋と玄孫。
お前らはダメだ。
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全裸で、しかも汗びしゃびしゃで、世の中の特に興味もないニュースへの皮肉や揚げ足とりを楽しく見られるほど、私は大人になれなかった。怒りを増幅させたり、人を蔑んだりするためにお風呂に行ってはいない。
世相をぶった切ったていを装い、世の中を嘲るのが得意な司会者。
そして、ヒステリックな大声で誰かを小馬鹿にしながらしゃべる玄孫。
彼らを見た後だと、いくら青空広がる昼下がりの外気浴でも、さわやかさが半減してしまう気がする。
ミヤネ屋や玄孫に限らず、怒りや皮肉、ヒステリックな感情を温浴施設では見たくない。朝まで生テレビなんてもってのほかだ。
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個人的には性的な番組も温浴施設では避けてもらいたい。
私たちの大塩平八郎は、自分の思想信条とは別の意志で物事を判断しがちだ。犬のしっぽのようにうれしければ勝手にふっているし、怖ければ勝手に股にはさんでしまっている。それらはいつも私たちの思惑の外にある。だからといって、大塩平八郎の乱が温浴施設で行われていい理由にはならない。いくらそれが半日で鎮静化されるとしても、だ。
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では、温浴施設にふさわしい番組は何だろうか。これまた個人的な意見をあげ連ねていこう。
夕方の地元密着型の番組はありだ。何も考えずに見ていられる。星澤先生の顔を見るとほっとするし、グッチーもいい。なんだったら、全裸で福永さんに「お絵描きですよ!」と答えたい。
もちろん、スポーツもいい。私としては野球やサッカーより相撲のほうが時間調整がしやすいのでうれしい。できれば、曙と貴ノ浪の取り組みをサウナ室で見たかった。
せっかくグルメも素敵だ。ただでさえ食欲が刺激される温冷交代浴の最中に、美味しそうにご飯を食べる日村さん。心のよだれが垂れる。私はそういうじらしを自分に課すのが好きだ。
あと、温浴施設で見た記憶はないけれど、Eテレの番組もよさそうだ。
テキシコーやピタゴラスイッチを蒸されながらぼんやりとながめる。いいに決まっている。みんなのうたも捨てがたい。「コンピューターおばあちゃん」や「電車かもしれない」、「メトロポリタンミュージアム」などが流れるサウナ室というのも乙だ。
これらがエンドレスで流れるというのもありだ。そろいもそろってみんな童心にかえればいい。どうせ全員が生まれたままの姿なのだ。
サウナ室で流れる番組を考えるだけで、こんなにもおもしろい。これもまたおふろを楽しむアプローチの1つだ。
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今、札幌市の状況はとてもよくない。過去最大級によくない。
若きリーダーが「外に出てくれるな」と言っている。若きリーダーとウマが合わないベテランも「医療崩壊の危機です」と言っている。
それでも私の生活は続く。いや、続けなければならない。
個人的には我慢を強いることで変容を達成しようとするやり方は好きじゃない。好きじゃないが、彼らの言っていることはわかる。
とはいえ、若きリーダーは言う。
「健康維持のための外出はかまわない」
衛生管理は健康維持に必要だ。そのために去年の緊急事態宣言の際、公衆浴場が休業要請から外れていたのだ。だからこそ、地域の銭湯の出番だ。
遠くに行けないなら地元の素敵スポットを愛でよう。自分の家の近くを健康促進の散歩がてら、改めて地域のよさを再発見できるかもしれない。
繰り返そう。今こそ地域の銭湯の出番だ。
あなたの地元の温浴施設のテレビにはなんの番組が流れているのだろうか。そもそもテレビはあるのだろうか。そんな楽しみ方を近所で発見するというのも悪くない。人生の楽しみ方はたくさんあればあるほどいい。引き出しの多さは生きるという活動を豊かにしてくれる。
ただし、黙浴で。
もちろん、短時間で。
残念ながら、風呂上がりのビールは自宅で。
だから、今は近いところに行くのがいい。 この疫病が終わったら、コロナビールで晴れやかに乾杯をしようじゃないか。その喜びを爆発させられるころには私たちはどこにだって行ける。
そんな未来を考えられるなんて、素敵じゃないか。