突然だが、告白をしたい。
私は乃木坂ちゃんが好きだ。
ファン歴2年のにわかだが、札幌でアンダーライブが行われると知り、先日、恥ずかしながら中年男性単騎で初めて参加させてもらった。
サイリウムの準備はOK。
曲の予習はOK。
恥かしさは隠せないが、それ以上にわくわくも隠せない。
だが、残念なことが起こった。
どうしてもノリ切れないのだ。
ライブの最中、「どうしてだろうどうしてだろう」と何度も自分に問うてみた。
自分の好きなように体をスイングさせる余地のない暗黙のルールが重い。周りに気を遣うことが優先され、音楽と自分が優先される場所ではないらしいのが気にかかる。
ライブでカラオケなんて初めてだ。
ライブの音が思ったより小さい。
「おい!おい!おい!」と叫ぶ前に誰かが「うっ!うっ!」とタイミングをはかる余計な掛け声が気にくわない。
『俺は叫びたいときに叫びたいし、踊りたいときに踊りたいんだ!』
『俺はブルーハーツ世代で、俺が求めるライブはRSRで、じょいんあらいぶで、クロマニヨンズで、サンボマスターなんだ!』
今までの自分の聞いてきた音楽、参加してきたライブとは違いすぎるのだから、楽しめなくてもしょうがない。
ノリ切れない理由はたくさん見つかった。
……違う。
「楽しめなかった」のではない。「楽しまなかった」のだ。歳を重ねるごとに、周りのせいにすることがうまくなった。理由という名の責任転嫁、分析という名の言い逃れ。自分の心を保つための小賢しさばかりだ。
誰かに楽しませてもらうのを待っている。誰かが楽しませてくれなければ、いつまでも楽しめない。自分の人生を他人に預けて、口に出すのは不平不満ばかり……
若いころ、そんな人生を送るバカにはなりたくなかったじゃないか!
何も誰かを楽しませたいわけじゃないし、誰かに楽しませてもらいたいわけでもない。ただただ「楽しもう」とするだけでよかったのだ。
それだけなのに、それができなかった……
年齢のせいにしたい。中年だから仕方がなかった。そういうことにしたい。しかし、きっと自分の生きてきた道程の結果なのだ。つらい話だ。
……あれ?そういえば、乃木坂ちゃんのライブ以前にも同じことを考えていた。
そうだ、松竹湯に行った時だ。
豊平区美園にある松竹湯は私に語りかける。
「誰かがあなたの思う通りに環境を整えなければ、自分の人生を楽しむことすらできないの?誰かがしてくれないと、自分の喜びも楽しみも作れないような生き方……あなたはいつまで続けていくつもりなの?」
と。
ーーーーーー
銭湯にはコインランドリーが併設されている場合が多い。お風呂に入っている間に洗濯が終わる。有意義な時間の使い方の提案と経営努力の結果だという。
松竹湯の隣にもご多分に漏れず、コインランドリーがあった。
コインランドリーを見ると、私の頭の中にはハイロウズの『コインランドリー』の一節が流れる。
〈気づいたことが1つだけある。バカは不幸が好きなんだ〉
銭湯巡りを始めたころにも同じ歌詞が頭に流れた。銭湯とコインランドリー、私の心は知らず知らずにこの2つをつなげていたのかもしれない。
松竹湯に入ると、まず気づくのが掃除の丁寧さだ。隅々まで行き届いている。気持ちよく裸になることができるというものだ。
全裸になると、ある違和感が襲ってきた。
何かが足りない……
湯船がある。バイブラ風呂もある。電気風呂もある。ミストサウナもある。
だが、水風呂がない!!
電気風呂があるのに、水風呂がない!?水風呂のかわりにあるのは冷水シャワーなのだ。不安が頭をもたげる。これはまずい。これだけはまずい。
私は水風呂を使わないでニルヴァーナに達する方法を知らない。そして、まずいことに私は電気風呂とミストサウナが少し苦手なのだ。
心に浮かぶのは松竹湯に対する不満である。
「どうして、電気風呂を水風呂に優先させるんだ!」
「俺は銭湯にニルヴァーナしにきているってーのに、これじゃああんまりじゃないか!」
ミストサウナ→設置されている冷水シャワー→休憩
のスタイルでいつものルーティーンを開始する。
しかし、胸に去来するのは不平であり、文句であり、負の感情である。もちろん、ニルヴァーナは訪れない。
ぶつぶつ言いながら体を洗っていると、1組の客が入ってきた。
私と同年代と思わしき男性と小さな女の子。
「お父さん、体、お湯かけるの?」
「お父さん、お風呂あつーい」
「30秒ね。30秒がんばろう?」
何気ない会話に耳をそばだてている私がいる。
2人は背中の流し合いを始めた。
「お父さん、気持ちいい?」
「うん、ありがとう」
鼻のあたりがツンと痛い。「俺はあれを体験できない人生を送ってきたんだ」そう思うとなお気持ちが暗くなっていく。
幸せそうな親子に嫉妬し、自分の思い描いた銭湯ではないことに悪態をついている自分……
〈バカは不幸が好きなんだ〉
ヒロトの声が響く。
自分の思い通りにならない人生を嘆き、あまつさえ誰かが自分のためにしてくれないと己の楽しみすら見つけられない中年男性。それでいいのか、俺!!
電気風呂が苦手ならば、電気風呂のよさを見つければよい。
ミストサウナに慣れないならば、ミストサウナに体を合わせていけばよい。
水風呂がなければ、水風呂以外の方法でニルヴァーナに達する方法を開発すればいい。
与えられなければ不満だなんて、ガキじゃねえんだから!!!
そう思うと、松竹湯は新たな顔を私に見せ始めた。ミストサウナには、ドライサウナによくある「水の持ち込み禁止」の注意書きがない。と、いうことはペットボトルの水をサウナに入りながら飲むことができるということ。
水を飲みながらということは、長めに入ることが可能。
その後、完全に温まった体を冷やすために1番冷水シャワーが染み込む体の部分は……
首筋だッ!!!
あっ、一部のヒヤヒヤが体全体に広がるのがわかる。ああ、これは水風呂では味わえない感覚だ……
来る!
クル!
アッ、キテル!
キチャッテル!
シャワーデキチャッテルーーー
ミズブロナシデモキチャッテルーーー
テレテテッテッテーーー
レベルガアガッチャッテルーーー
ーーーーーー
楽しませてもらうのではなく、楽しむ。ただそれだけで人間レベルが上がる音が聞こえた。
きっかけをくれた松竹湯とあの親子に感謝だ。どの銭湯にも、そこ「ならでは」のよさがある。それを見つけられる人でありたいものだ。
ピースの又吉は言った。
世界にはつまらない本などない。その本を楽しめる段階に自分がまだ達していない、ただそれだけのことだ。
おそらくそれは文学だけの話ではない。
銭湯しかり。
アイドルしかり。
つまらなさに支配されているときこそ、人間としての器量を試されているのだ、と知った。
ありがとう、松竹湯。
ありがとう、乃木坂ちゃん(のライブ)。
このように、銭湯スタンプラリーは自分の生き方を見つめるきっかけになったり、ならなかったりするかもしれない。
次回、南区川沿『川沿湯』