歳を重ねるごとに、かつて自分が情熱を注いできた物事に熱中できなくなってきた。
かつてクリア後も、なお極めんがためにやりこんだRPG。クリアまでこぎつけたのは何年前になるだろう?
毎週買っていた漫画雑誌たち。買わなくなって立ち読みで済ますようになり、やがて立ち読みすらしなくなった。島耕作の役職は今なんなのだろう。
音楽がなければ生きていけないと思っていた十代。今、新譜をチェックしているのは乃木坂ちゃんと欅坂ちゃんくらいだ。
眠るのを惜しんで読んでいた小説たち。筒井康隆、村上春樹、村上龍、ばなな、おおけん、安部公房。芥川、漱石、藤村、田山花袋。それなのに去年読んだ小説はたった4冊だった。
深めること、それは好奇心に身を任せることだ。そこに損得などなかった。自分がおもしろいと思ったものをただただ楽しむだけでよかった。
そんな昔の自分を思い出しつつ、今の自分も捨てたもんじゃないと思えた場所。
そこが「神宮温泉」だった。
銭湯スタンプラリー20件目となった神宮温泉。初めてもらったプレゼントと神宮温泉の掲示物が若かりしころの私を呼び起こしてくれた。
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札幌の銭湯スタンプラリーでは、20件目と達成時にプレゼントがいただけるらしい。
商品のためにやっているわけではない。それほどいやしい人間ではない。あまり人を侮らないでいただきたい。
でも、もらえるならもらってもいいではないだろうか。いや、もらえるものなら基本的にはなんでももらいたい。なんだったら、私は病気だってもらってしまいたい。だって、もらえるって無料じゃない?ただより安いものはないじゃない?
だから、神宮温泉へ向かうペダルの踏み込みはいつもよりウキウキしていた。
「何がもらえるんだろ?何がもらえるんだろ?」
そんな浮かれた気分は神宮温泉の入り口でしっかりいさめてもらうことができた。
上記の神宮温泉正面の写真はご覧になっただろうか?
入口から男女がわかれて入るようになっている。銭湯初心者の私にもわかる。これは番台スタイルの銭湯の特徴である。これは真駒内湯から得た学びである。
しかし、神宮温泉は違う。
入り口で男女別に入場し、ロビーでふたたびわかれた男女が合流するのだ。
思わず声が出る。
「ええ!?なんで?」
わずかながらの経験則からしたり顔をすると恥をかく。これは世の常だ。入り口で男女の別れを、そのすぐあとに再会の喜びを演出する場所だってあるのだ。
受付の方も変な声を出す中年男性がいきなり現れたのでいささかいぶかしんだかもしれない。それでも、私はロビーで聞かねばならないことがある。
「えっと、これでスタンプラリー20個目で、何かもらえるらしいんですが……」
「へ?あっ、そうなんですか。え?あっ、ちょっと待ってください」
変な声を出す客が厄介なお願いを始めたわけだ。そりゃあ、困りもするだろう。でも、ほしいものはほしいのだ。
「あの、上がってきたときには準備しておきますので」
これから銭湯を楽しめるというのに、それに加えてプレゼントへの楽しみまで増えた。今度は声を出さずに、心の中だけで「ぐへへ」とつぶやいた。
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浴室に入ると、真っ先に目に飛び込むのがタイル絵だ。神宮温泉は富士山ではない。川と崖。そんな風景がモチーフになっている。
洗い場には、桶を置く場所が一段高くなる工夫があり、腰痛持ちの私にはありがたい限りだ。
強めの電気風呂に入るのは足だけであきらめた。が、ぬる湯が2つあり、ニルヴァーナへの道は約束されたようなものだ。そのぬる湯でぼんやりと壁画の反対側の壁を見上げる。
銭湯すたれば人情もすたる
銭湯を知らない子供たちに
集団生活のルールと
マナーを教えよ
自宅にふろありといえども
そのポリぶろは親子の
しゃべり合う場にあらず、
ただ体を洗うだけ。
タオルのしぼり方、
体を洗う順序など、
基本的ルールは誰が教えるのか。
われは、わがルーツを
もとめて銭湯へ。
詩の掲示物である。
私は大学時代、文学部に在籍していた。つまり、詩などの文学作品には一過言あるのだ。そんな私が最初に思ったこと。
だれだよ!
そんな思いが最初に浮かぶのだから、そのあとはなんちゃって辛口批評家である。
素人さんらしい詩情のなさが気にかかるよねぇ。「ルール」とか「マナー」みたいなカタカナ語が違和の元かな。「ルール」と「ルーツ」で韻を踏むところが、テクニック出したい感があふれちゃっているよねぇ。
そんないじわるなことを考えながらサウナに移動する。こういういじくその悪いことを考えているとき、どうしてニヤニヤしてしまうのだろうか。熱めのサウナに、ニタニタおじさん登場である。
サウナを出て、やっぱり田村さんをちょっと見ながら水風呂へと進む。この水風呂で、胸の中に抱えた黒い感情が消えていく。
え?このタイプ、初めてじゃない?
バイブラっているのに、ぬるめ?ひえひえではあるけど、キンキンじゃない!こんな組み合わせもあるんだ!
はー。ここには驚かされてばっかりだ。
入口からだもんなー。詩だし。
シダシ。
シダー!シナンダー!
セントウハシナンダー!
セントウハシナンノダー!
一発でニルヴァーナである。
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風呂から上がるとロビーでプレゼントが待っていた。
漱石先生の句が書かれたセンスである。文学に燃えていたあのころ。失ってしまった情熱がまたくすぶり始める。向上心のない奴はバカなのだ。
そう、考えてみれば今だって、銭湯に夢中な自分がいるじゃあないか!おじさんになったって、ニルヴァーナに夢中になることができているじゃないか!
忘れていたあのころを思い出す。銭湯にはそんな効果があるのかもしれない。
漱石先生が銭湯で一句読みたくなるように。
どこかの田村さんが、銭湯を詩にしたかったように。
その気持ち、わかるよ田村さん。
そう思って、後日、何気なく「田村隆一」を検索して青ざめた。
知らないからと言ってさんざんコケにした田村先生は、かねてから敬愛している谷川俊太郎先生と並び評される詩人だった。
銭湯初心者はまた1つ恥を重ねてしまった。本当に初心者を自称しながら、初心をすぐに忘れる慢心家である。
次回、中央区北10条さかえ湯