札幌(とか)の銭湯を(おふろニスタが)行く

家が火事になりましてね。風呂がないんですよ。で、チャリで札幌の銭湯を巡っていたら、いつの間にかおふろニスタになっていました。中年男性がお風呂が好きだと叫ぶだけのブログです。

銭湯四方山話 その参)昔話みたいな話

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数か月前、緊急事態宣言が出たか出ないかのころ、不安定な社会情勢が私のバランスも崩していた。自慢じゃないが、私はメンタルとお肌と胃腸が弱い。

その日も、疲れた体を引きずり、鷹の湯に行った。

熱湯と水風呂の交代浴。揺れた足元が少しずつかたまっていくのを感じる。

明日をいつも通りに過ごすためのわずかな活力を補給させてもらい、帰路につく。駐輪場に停めてある自転車にまたがった瞬間だった。足元に小さな長方形の紙が入ったチャック付きビニール袋が落ちている。

見覚えがある。さつよくの回数券だ。間違いない。

あけて中を数えてみる。10枚入っている。

これは1枚使うと札幌市内のさつよくに加盟する銭湯どこでも入れる奇跡の紙だ。11枚つづりで4500円。1回入浴すると450円かかるので、1回分無料で入れるということになる。つまり、1枚使うごとに約40円お得になる計算だ。

10回使うと400円、100回使うと4000円、1万回使うと40万円、1億2千万回使うと48億円、私たちは得をする。

これを買ったばかりで失うとは、なんと莫大な損失だろう。

このままでは落とし主の方が鷹の湯のおむかいのそば屋『更科』で1杯のざるそばを家族3人で分け合わなくてはならなくなってしまう。それを寡黙なご主人が勝手にエベレスト盛り(2kg)に変更しなくてはならなくなる。

「おかあさん、ここのおそばは食べても食べても減らないね」

「おかしいわね、1人前のざるそばを頼んだはずなのにね」

「おいしいね、ぼくこんなにお腹いっぱいおそばを食べたのは生れて初めてだよ」

「そうね」

「私もおなかいっぱい!まるで魔法みたいね!」

「ふふふ。そうね。ご主人にお礼を言わなきゃね」

「うん!」

「魔法使いのおじちゃん、ありがとう!」

「……ああ」

そんな会話が交わされてしまう。そして、それが実話に見せかけた創作だということがばれて、落とし主の方が世間から糾弾されてしまう。

その不安から落とし主の方は泣いているに違いない。

そう考えた私は踵を返し、鷹の湯のご主人に事情を説明し、回数券を届けることにした。

 

いいことをした。実にすがすがしい。

しかし、ここでみなさんに勘違いしないでいただきたいのだが、この行動を公にすることで、私は自分がいい人だということを世界中にアピールしたいわけだ。

声を大にして言いたい。私はまじめだ。そして、優しい。さらにウイットに富んだユーモアの持ち主だ。あとセクシー&ソーキュートかつダンディオブダンディだ。真夜中のダンディだ。

私は思う。

こんなに真面目で優しい俺よりいい加減なアイツがなんで、あんなにモテるんだろう。お金より、見た目より車より心意気。

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後日、鷹の湯を訪れた際、珍しくご主人に話しかけられた。

「ああ、たしか前、回数券届けてくれた人だよね?」

「あ、はい」

「あのあと、何を落としたかは書けなかったけど張り紙してたんだよ」

「へえ」

「そしたら昨日、落とした人が来てね。回数券、返せたんだよ」

「おお!よかったですね」

「でね、お礼にって、これ」

ご主人の手には3枚(だったかな?)の回数券があった。

「え?いいんですか?」

「『渡しておいてください』って預かってたんだよ」

「やったあ!」

「じゃ、今日はここから1枚使うよ?」

「はい、ありがたく使わせていただきます!」

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今は令和。2021年。

これは現実にあったお話だ。

地域の銭湯には、人情がある。人情が交われば、物語が生まれる。その物語が語り継がれれば地域の文化となる。

コロナの猛威がまた広がっている。黙浴が推奨される今、昔ながらの銭湯的コミュニケーションは難しいかもしれない。

それでも、言葉がなくとも、人には心がある。

心があり、それが交差すれば物語は必ず生まれる

だから、銭湯に行こう。

できれば、地元の銭湯に行こう。

きっと自分だけの物語ができる。私はそう思う。

 

……え?

本当だよ?

本当にあった話だよ?

ちゃんと3人で1杯を分け合って食べたよ?

嘘じゃないよ?