札幌の銭湯スタンプラリーにおける最大の落胆は、行った銭湯が改修や改装などで臨時休業になっているときだ。
写真は大正湯でくらったものだ。決まり手、肩透かし。
当然、「事前に確認しなかったお前が悪い」との批判もあろう。その通りである。しかし、私は事前の下調べは定期休業日のみにとどめ、周囲の情報はなるべく入手しないように心掛けていた。
なぜか。
それは『孤独のグルメ』のような状況を作りたいという思いがあったからだ。
生の状態でその銭湯を体験し、そのときの思いや感情を独り言と主観を中心にブログでそのまま書き起こしたい。そんな志が私にはあったのだ。
声を大にして言おう。私は「ハードボイルド」になりたい。
だからこその『孤独のグルメ』だ。『孤独のグルメ 銭湯ver.』、それはハードボイルドの代名詞と言えるだろう。
あらうんどふぉーてぃーとなった今、私は今更、かわいい系にも、さわやか外資系にも、キリっとインテリ系にもなれない。
なれないとはわかっていてもなりたい。でも、なれない。
そんな中年男性にもなれる「系」が1つある。それこそが固ゆで系、つまり井之頭五郎系なのだ。
もちろん私がハードボイルドになれるという推測にはいくつかの根拠がある。列挙しよう。
一つ、桑田佳祐『真夜中のダンディ』をことあるごとに聞いている。
一つ、違いの分かるブラックコーヒーを毎朝飲んでいる。
一つ、本棚に村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と荻原浩『ハードボイルドエッグ』があった(が、燃えた)。
一つ、藤原伊織『テロリストのパラソル』が大好きだ。
一つ、『孤独のグルメ』を全シーズン観た。マンガも2冊とも購入済みだ(ったが、燃えた)。
これだけのエビデンスあれば、私の願望が夢見話ではないことがわかっていただけただろう。
だが、しょせん夢は夢。すべては空想でしかなかったのだ。
私はそれを『大正湯』で思い知った。
仕方のない話だ。かの湯には私のような似非ではない、本物のハードボイルドが満ちていたのだから。
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休業があけたのち、改めて私は大正湯へと向かった。今回は前回の反省を生かし、以下の『さつよく』のホームページで確認してからだ。反省は猿でもできる。
小雨降る中、自転車で電車通りを走る。
「電車通り」とは、すすきのに走る路面電車、通称「チンチン電車」が通る道のことを指す。この道沿いに大正湯はある。そこはきわめてすすきの的な場所だ。
暖簾をくぐると、番台スタイルの昔ながらの銭湯が広がる。
客は私1人。
番台にはすすきの的迫力のある親父さんが座っている。おそるおそるスタンプラリーのハンコを求めると
「おお、こんなに集めたのかい」
存外な優しい言葉に少し照れてしまう。見た目で判断するくせはいくつになっても抜けない。
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浴内には、固定カラン、主浴に副湯、サウナに水風呂。期待を裏切らないラインナップが待っていた。
いいじゃないか。いいじゃないか。こういうのでいいんだよ。
少しぶってみたものの、主浴に入るとそんな余裕は消しとんだ。
「あっちっちー」思わず声が出るほどのあつ湯。だが、問題はそこではない。熱さを乗り越えて、肩までつかると見えてくる不思議な光景。
???
??????
お湯もれてんじゃん!!!!
主浴の浴槽には穴があいていて、そこからぴゅーっとあつ湯が一筋噴き出している。
たしか俺は休業明けに大正湯に来ているはずだ。休業するということは何かしらの作業があったはずだ。
それなのに。
それなのに、である。
お湯もれてんじゃん!!!!
でも、これは卑近な中年男性のありふれた感想でしかない。
きっと大正湯にとっては、浴槽に穴があいているなんて、てんで大したことではないのだ。
これをハードボイルドと言わず、何と言えばいいのか。
どんなものにも揺るがされない冷酷なまでの冷静さがハードボイルドには必要だ。それはつまり「主浴に穴があいている?それで?」と言葉ではなく、姿で見せる大正湯以外の何者でもない。
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サウナに移動すると、すでに打ちのめされている私にさらなるハードボイルドが襲ってくる。
3人しか入れないであろうぬるめのサウナ。設置されている砂時計が止まっている。
もう1度書こう。
砂時計が止まっている。
まるで「時間が止まったとして、何か問題でもあるのかい?」と言われているようだ。
そして、その時の止まった砂時計の向こうにある窓。その窓にはひびが入っていた。
すすきの。
ハードボイルドな銭湯のサウナ。
窓ガラスのひび。
私1人しかいない男湯の中に、見えない裸の男たちの喧噪がありありと目に浮かんでくる。ぬるいはずのサウナなのに、汗のだくだくが止まらない。
私は大正湯に飲み込まれ始めたのだろうか。いや、きっと遠赤外線効果だ。そうに違いない。
サウナから出て、1人が入って窮々の水風呂に入る。水風呂にも1人、男湯にも私1人。主浴からあつ湯がぴゅー。
陣取っていたカランの前で1人であることをいいことに、北都湯以来はまりっぱなしのおっぴろげスタイルで休憩に入る。
こいつぁ、でけぇやまぁ、ふんじまったみてぇだぜ。
丸出しむき出しの中年男性は、Barにいる探偵になり切っていた。遠くからチンチン電車の音が聞こえる。
アイアムフィリップマーロウ
マルダシフィリップ
キコエルチンチンデンシャ
マルダシナダケニ
イエス!シンジュクザメ!インススキノ!
いつのまにかハードボイルドにニルヴァーナである。
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大正湯から外に出ると、やめたはずの煙草が恋しくなった。今は煙草の煙がよく似合うはずだ。
いや、やめよう。昔の思い出はとうに捨てたはずだ。
小雨降りしきるすすきのに中年男性が1人。
この胸に湧き上がる自分が「男」であることの自覚。こいつを抱きしめながら、家路を淡々と帰っていくんだ。何も語らず、何も求めず……
……そう思いながら、自転車にまたがると見事にパンクしていた。
もちろん、雨の帰り道をとぼとぼと1人、押して帰ったことは言うまでもない。
「ハードボイルドハードボイルド」騒いでいた中年男性のなれの果てである。
次回、西区山の手『文の湯』