31,北区新琴似 福の湯
これは私の性なのだが、好きなものについてどんどん知りたくなってしまう。銭湯に通い始めて1年。銭湯についての知識をつけたくて、なにかにつけては銭湯について調べ続けた1年になった。
そして、この1年間で、銭湯の話題として避けられないとしたら、やはり銭湯絵師見習いの美しい女性の件だろう。
老いた銭湯絵師。
美しい弟子。
そして、才能あふれる別の女性を踏みにじった彼女の過ち。
彼女の不正を許せない『世間』。
『世間』を背負い、自分の正義の名のもとに渦中にあらわれたもう1人の美しい女性。
こう書くとドラマのようだ。が、このような銭湯業界への注目の集まり方はにわかの私にとっても好ましいものではなかった。
怒りや悲しみをはぎ取る場所である銭湯が、楽しさや喜びのない話題で衆目を集めるなどあってはならないはずだ。
私は遠くから、さびしい思いでこの件を見ていた。それにしても、そんな部外者が今になって、なぜこの話題に触れねばならないのか。
それは福の湯にくだんのドラマの登場人物である『第三の女性』のペンキ絵があるからである。
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突然、舞台にあがり、声高に自己主張を始めた彼女を私は快く思えなかった。
まるで悲劇のヒロインのような、第三の女性は何者なのか。彼女の発言や彼女をめぐる方々の評、さまざまな記事を読み漁った。
リサーチの中でわかったのは彼女は彼女のファン(主に男性?)とともに銭湯をはしごするイベントをしているとのことだ。
その行為がどうにも鼻につく。
銭湯は生活の延長であり、1日に何軒もめぐるなど、もはや日常ではない。その銭湯の持つ魅力を最大限引き出し、理解するには時間がかかるし、1日でめぐるとなると情報量があふれ、結果、1つの銭湯の魅力を薄めることになる。
そもそも美しい女性と銭湯をはしごするというのがナンセンスだ。銭湯は求道的な場所でもあるのだ。
どうせ、銭湯を移動しながら、「さっきの銭湯、女風呂はサウナどんなだった?」「へー、男風呂は水風呂けっこうぬるめだった」「次のところは水風呂キンキンだとうれしいなー」とか話したりするのだろう。そして、「いやー、今度はすげぇあつ湯だったけど、水風呂との相性ばっちりだったよ」「あっ、そっちも?」「サウナ使わなかったのに、お互いニルヴァーナしたんだね」とか言って、「じゃあ、この勢いでビールでも飲みに行きますか」とかしたりするのだろう。
あまりに不純だ。
銭湯はそういうものじゃない。
そんなの
そんなの……
絶対、楽しいに決まっているじゃないかッ!!!
もー、なんなのさ。
よし、わかった。四の五の言わずに実際に彼女の描いたペンキ絵とやらを見てやろうじゃないの!
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福の湯についたのは平日の昼間。すでに常連さんでにぎわっていた。バンダイスタイルの銭湯だが、番台から脱衣所・浴場が見えないように暖簾で目隠しがされている。
にくいばかりの心遣いが出迎えてくれる。
銭湯のはしごを否定しながら、スタンプラリーで市内の銭湯をめぐっている自分の矛盾を感じながら、スタンプ帳をバンダイのお父さんに見せると「ギリギリだねー」との一言をもらった。
脱衣所の会話、お父さんの様子、店内には人の温かさが充満している。
服を脱いでいる間も、件の絵が遠くから見える。文字通り、斜めの角度から、心理上でも斜めの目線で眺めてみると
「……きれいじゃないか」
くやしいかな、美しい女性の描いた富士山は大きく雄大だった。でも、近くで見るとどうなんだい?全裸の中年男性は意地悪な気持ちでペンキ絵の下のカランを陣取る。
「遠くで見たらしっかり花だったけど、近くで見るとこういうぼんやりタッチで塗ったやつだったのか。技術だねぇ」
はっ!!感心しちゃってる。いかんいかん。
絵ばかりに心奪われている場合じゃない。ここは銭湯なのだ。銭湯の華は風呂だ。あくまでペンキ絵は背景。主役はお風呂のはずだ。
主浴と水風呂、水風呂の横には小さな副湯がある。そして、奥には個室ラドン風呂とサウナ室がある。
頭の中でコースが決まる。
第三の女性の描いたペンキ絵は前菜、次に主浴・副湯を楽しんでからのラドン風呂。そして、サウナ・水風呂・サウナ・水風呂のデザートの開始だ。
まさにフルコースだ。そうと決まれば……
あっちーーー!!!
ちょっと待て!
待て待て待て待て!
主浴があつ湯とかのレベルじゃない。熱湯(ねっとう)というか、人が入湯することを拒否している温度だぞ、これ!!!
だが、あまり人をなめるな。
あの凶悪な藤の湯を乗り越えた中年がここで引き下がるわけにはいかな
あっちーーー!!!
無理だって。これは無理。入れない。だって、誰も入ってないじゃん。こんなに常連さんいるのに、1人も入ってないじゃん。
ただ、それであきらめるわけにはいかないんだよ。俺だって、人に文句を言うからには自分が逃げるわけにはいか
あっちーーー!!!
三度の敗北。何度も叫ぶ私を見ていた常連さんが言う。
「今日は無理だよ。無理すると体に悪いよ?」
たしかに。
人間あきらめが肝心だ。
とぼとぼと体にべっとりとこびりついた敗北感を落とすべく水風呂に向かう。
1人が入っていっぱいいっぱいの水風呂。主浴は拷問だったが、水風呂は肌にやさしいひえひえバージョンだった。
少し癒えた心で個室ラドン湯のドアを開くと、休憩椅子も完備していた。これでサウナ・水風呂後の休憩がはかどるというものだ。心はさらに沸き立つ。
いよいよサウナ。
サウナ室の扉を開ける。待ち構えていたのはむせかえるようなスチームサウナだった。へー、スチームの苦手はだいぶ前に克服したから大丈……
あっちーーー!!!
まただ。
また激熱だ。
少しでも動くと激熱の蒸気が体を襲う。東豊湯や望月湯の熱めのドライサウナも耐えられるようになった。が、こんなに熱いスチームサウナは初めてだ。
「ああ、無理だー」
瞬殺である。心は『撤退』の2文字に支配されていた。
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ここまで熱い設備が揃っていた場所があっただろうか?
これじゃあ、まるで岡本太郎の『坐ることを拒否する椅子』じゃないか。
いや、たぶんそうではない。ここまで尖りに尖り切った特徴を受け止めるだけの器量がこちらに準備できていないだけなのだ。
普通を突き詰めて「粋」にまで到達した円山温泉とは真逆の、「熱さ」という個性を磨きに磨いて尖らせた福の湯。
おそらく常連さんは私の姿をほほえましく眺めていたのではないだろうか?常連さんたちには、福の湯の語る言葉が聞こえている。そして、理解している。私はその言葉がまだ聞こえていない。使われる言語も初めてのものだ。
理解するのに時間がかかることを彼らは知っている。
だからだろうか、熱さに声を出しまくってしまった私に常連さんたちはやさしかった。
「熱かったでしょ?」
「いいよ、足のばして休みな」
福の湯には、熱い湯とスチームサウナと、穏やかな人情ドラマの登場人物のような常連であふれていた。
第3の女性のペンキ絵は、そんな彼らの日常の背景を鮮やかに彩っていた。そして、それはとても美しい光景だった。
次回、東区北44条『喜多の湯』