リライト②)■一、豊平区豊平 鷹の湯
札幌市から新千歳空港へ向かう車社会の北海道において生命線とも言える道路が国道36号線である。
札幌市民からは「さぶろく」の愛称で広く親しまれている。観光客にも「すすきのを貫く大きな道路だよ」と言えば「ああ、あれ」となるだろう。
鷹の湯は、札幌にとって、ひいては北海道にとっての最重要道路に面して建っている。
立地の良さが伝わっただろうか。私はまだ市内全店舗を制覇したわけではない。が、鷹の湯ほど恵まれた場所にある銭湯を私は知らない。
しかし、まったく目立たない。鷹の湯にとって、立地の良さなど意味はないのだ。おそらく生かすつもりもないのだろう。[1]
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火事によって家がなくなった私は、風呂にも入れなくなった。(前項参照)深い絶望が汚れとなって皮膚にたまっていく。
だが、居候先の近くには鷹の湯があった。いつもなら目にも入らないような建物だ。横のセブンイレブンに気を取られ、私の生活においては箸にも棒にもかからない存在はずだった。
「さぶろく」に面した救いの湯。出会いの場所、鷹の湯。
私が久しぶりに訪れ、市内を巡り歩くことになる銭湯たちの1湯目である。人類にとっては小さな1歩だが、私にとっては大きな躍進だ。[2]
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久しぶりに入る公衆浴場は、私が子どものころに行った場所、そのままであった。
湯屋の華[3]とも言うべき、艶やかな背中があり、足の延ばせる風呂があった。そして、ご老体につぐご老体。
しかし、鷹の湯にとっては、時の流れが外界と断絶しているがゆえに起こる、取るに足らない日常風景なのかもしれない。
風呂は激熱と普通が用意されており、激熱に入ることは初心者の私には不可能だった。どうしてこんなに熱くする必要があるのか。常連とおぼしきご老体すら入浴しない温度[4]なのだ。
だが、風呂の中で細かいことなど何一つ考えてはならない。それこそ無粋というものだ。
対してサウナ、水風呂(なぜか色付き[5])の温度は高すぎず、低すぎず。久しぶりの銭湯初心者を温かく迎え入れてくれた。
銭湯は水風呂に入るところ。
鷹の湯でなければ、この真理に到達できなかったかもしれない。鷹の湯が私に銭湯の目覚めを促してくれた。
いや、目覚めざるを得なかった。だって、熱すぎて湯船に入れないんだもん。
この鷹の湯で学んだ入浴スタイルが今の私を形作っている。以下、確立された銭湯内での私の流れ。[6]
【前半】
①体を流す
②湯船につかるが、少しでもつらいと感じればあがる
③サウナに入るが、少しでもつらいと(略
④水風呂に入るが、少し(略
⑤ぼーっとする
⑥サウナに入る~最初より無理なく長く入れる
⑦水風呂に入る~最初より(略
⑧ぼーっとする(うまくいけば、ここでニルヴァーナ)
⑨サウナに入る~周りの人と我慢比べができる
⑩水風呂に入る~長く入りすぎて迷惑にならないように
【後半】
①洗髪→体洗い
②お肌すべすべ確認
③その銭湯で1番のぬる湯につかる
④サウナ→水風呂
⑥サウナ→水風呂
⑦ニルヴァーナ(恍惚)
鷹の湯を後にすると、深い絶望はさわやかな爽快感へと変貌していた。
なんか、人生いろいろあるけど、基本どうでもいいよね、と。
鷹の湯から始められた、銭湯スタンプラリー。
初回で人生の何でもかんでもがどうでもよくなるニルヴァーナ体験をしてしまった。
これがスタンプ集めに拍車をかけることになる。
次回、南区澄川『風呂~楽』
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[1] 2021年8月現在、鷹の湯はツイッターアカウントを作るなど、宣伝活動に本気になっている。このときの自分の見識の甘さを痛感する。
[2] アームストロング船長のこのセリフ回しは私の好む表現の一つである。マリーアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」も多用しがち。
[3] 刺青、紋々、タトゥーなどなど。あなたの好きな呼び方はなんですか?
[4] 常連になった今、熱湯を水でうめる人を注意するようになってしまった。人間とは実にわがままなものだ、というメタファーになっている。
[5] 鷹の湯の水風呂は、透き通った地下水がタイルの色を反映するため、そう見える。