32,東区北44条 喜多の湯
北海道札幌市には10の区がある。
うち、清田区・厚別区の2区にはさつよくに加盟している銭湯がない。
つまり、銭湯スタンプラリー制覇のためには8つの区に行けばよいということだ。それなのに、である。
それなのに、私は東区だけを最後まで避け続けてきた。
理由はある。
札幌市民はまことしやかにこうささやいている。「東区は治安が悪い」と。私がおチビちゃんだったころから、脈々と言われ続けている話だ。
根拠はない。
データ的にみても、すすきのを抱える中央区や大きな飲み屋街のある北区、かつて青線があった白石区などが東区よりも犯罪率が上回っているようだ。(参照 https://oooni.net/chian-sapporo-2/)
それなのに、東区に対する「治安が悪い」というイメージは固定化されている。地下鉄が走ったことで、もうそんな時代ではないことはわかっているのだが、幼いころの記憶は根深いものだ。
しかし、そんなことはどうだっていい。
私が東区を避けていた理由は別にある。
それは『わずかにあった色恋の相手が軒並み東区在住だった』というただ1点。これに尽きる。
自慢ではないが、私はお肌とメンタルが繊細なのだ。付け加えるなら胃腸もナイーヴだ。
しかし、もはや四の五の言ってはいられない。スタンプラリーの〆切は2週間を切っているし、東区には4店の銭湯がある。(黒田湯は残念ながら、巡る前に廃業してしまった)
トラウマ攻略の第1湯、喜多の湯。まずはここから始めよう。
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冬の間も含めて、私は自転車で銭湯を巡っている。過酷な環境にもかかわらず、スタンプラリーの冊子はバッグに無造作に入れていたり、時にはウエストポーチに押し込んだり、と扱いは雑だった。だから、冊子はかなりボロボロな状態になっている。
いつものようにスタンプをお願いすると、喜多の湯のロビーに座るお父さんは「これ、いつから使っているの?」ともっともな疑問を口にした。そして、さびしそうな声で「黒田湯さんもなくなっちゃたもんねぇ」と、㊴黒田湯の欄にバツ印を書いた。
エモーショナルな光景だ。
すでに終わってしまった物語を避けていたがために、1つの物語が終わってしまっていた。過去に縛られていいことなどない。
そんな当たり前な事実をいくつになっても学びとれない。それでも私はいやがおうにもおじさんになっていっている。ちょっとだけ自分が情けない存在に思えてくる。
こんな気持ちをどうすればいいか。
そうだね、ニルヴァーナだね。
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構造の妙によって、喜多の湯は脱衣所とロビーの間に暖簾がない。どうあがいても、ロビーからは中が見えないようになっている。
まだ陽のあるうちだというのに、常連さんが多い。構造も面白いし、ロビーもきれいだし、お客も多い。トベそうな予感がぷんぷんする。
浴場に入ると主浴とその横に副湯、そして、大豊湯のような控えめな高さの打たせ湯が見えた。あそこはニルヴァーナへのジャンプ台になるはずだ。もちろんサウナも水風呂もある。
体を流して、まずは主浴。あつ湯だ。藤の湯で学んだ、あつ湯(あそこは熱湯【ねっとう】だが)と水風呂の交互浴。無理せずに楽しむにはもってこいの熱さだ。
銭湯巡りを繰り返し、わかったことがある。「サウナ→水風呂」のターンに入る前に、「あつ湯→水風呂」のセッションを入れておくと、より濃厚なニルヴァーナが訪れる。
水風呂をサウナの後のお楽しみだけに利用するのはもったいないのだ。
あつ湯で体をあたため、水風呂へ。待っていたのはバイブラなしのチンチンのそれだった。
これはくるー
期待感が高まっていく。
副湯の狭めのバイブラバス。ぬる湯。ということはやはり、である。
打たせ湯は超ぬるだろう。だが、今はスルーだ。これは、サウナのセッションまで取っておこう。自分を焦らすのも銭湯を楽しむには必要なはずだ。
じゃあ、どこまでトベるのかは、自分との勝負だな。
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サウナはぬるめ。私はサウナで我慢しないことにしているのだが、ここは1回目から長めに入っていられるサウナだ。このあとには、チンチンの水風呂が待っている。
私は我慢しない。
でも、待っている水風呂はチンチンだ。
しかも、私好みのバイブラなしタイプ。
我慢は体に毒だ。
でも、チンチン。
我慢……はよくない。
サウナは修行ではない。
……我慢しない。
…………我慢……しない……
………………
……………………
…………………………
……だー、あっちー、もう無理―
かーーーー、キンキンに冷えてやがる!
いや、チンチンに冷えてやがる!
ばー、ぶはぶは。
うえーーい。これこれー!!
さあ、1回目の休憩。
いや、その前に打たせ湯だな。
はーーー、やっぱり超ぬるだー
ちょうぬるだぁ
チョウヌルダァ
ヌルポダァ
ガッ
ヌルポ
ガッ
ヌルポ
ガッ
以下エンドレスくり返し
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はからずも甘酸っぱい思い出が詰まったころに流行ったネットスラングニルヴァーナが飛び出してしまった喜多の湯。
思い出に縛られたままでは知らずにいた場所だ。
過去はもう過ぎ去っている。未来は未だ来ていない。
その2つによって動けなくなる愚かさを喜多の湯は個人的に教えてくれた。
もう東区は避けるべき土地ではない。
そして、思う。
ヌルポときて、ガッとするきまり。今はどれくらいの人が知っているのだろうか、と。
次回、中央区北5条『さつき湯』