せん湯とごはんvol.2)白石区菊水『菊水湯』と白石区菊水『綱取物語』
肉欲が抑えきれない。
どうしても鎮まらない。
自分で言うのもなんなんだが、私はおおむね欲の少ない人間だと思っている。パンツは擦り切れるまで履くし、着れる服があれば、特段新しく買うことはない。
何か欲しいものがあるわけでもないし、何かを失いたいわけでもない。夢の中で暮らしてる、夢の中で生きていく。心の中の漂流者、明日はどこにある?
そんなフラカンのような私でも、ときどき暴力的なまでの肉欲に襲われることがある。
その頻度は少ないのだが、その分、1度とらわれてしまったらどうにもならない。それが今日だった。
気がふれる。
それしか考えられない。
そのためだったら周りの目など気にならない。
友人を誘ってすすきのに行くべきか。それとも一人で行くべきか。たしかにすすきのに行けば、選択肢はいろいろあるはずだ。
しかし、すすきのはハードルが高い。
そう、多くの札幌市民にとって、すすきのに行くことは日常ではないのだ。
そんな私のような人間のために白石区菊水はある。
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菊水と言えば、白石区銭湯四天王の一角『菊水湯』がある。肉欲を満たす前に、鋭敏な体を作り上げる必要がある。
菊水湯。創業・昭和5年。札幌市の表と裏を見続けてきた銭湯である。
暖簾をくぐると、ささやかではあるが、かわいらしい、ライトアップされたオブジェが出迎えてくれる。
バンダイには、これまたかわいらしいおじさん(か、おばさん)が迎えてくれる。
熱い主浴・ジェットのちょい熱副湯・超ぬるぶくぶく緑のちっちゃいバイブラ湯。そして、チンチンに冷え切った水風呂。
この4つが連結した浴槽がど真ん中にデンッと構えている。
交互浴一発目。
あつ湯⇒水風呂のコンボから『ずきゅん』とトンだ。早速訪れるニルヴァーナ。
ふとももにうかぶあまみ。耳の奥に聞こえる血液の流れ。聞こえてくるお湯の流れる音。
理性が遠のくと同時に野生が戻ってくる。
気を取り直して、サウナへと移る。
菊水湯のサウナは広い。ゆえに、座る位置によって、感じる温度がずいぶん違う。全体的にぬるめなので、体にかかる負荷はどの位置でも大きくはない。ゆえに今の自分に合わせたチューニングができる。
じっくり時間をかけて、自堕落な日常生活によってくたびれた五感を目覚めさせる。
そして、チンチンの水風呂へ。
これは高まる。
高まっちゃってる。
体中の感覚が。
そして、抑えきれない肉欲が。
カラダジュウガヨクボウデミタサレテイク
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菊水湯をあとにする。肉体は最高に研ぎ澄まされ、心は極限まで飢えている。
お目当ての場所。そこは徒歩10分とかからない。
これが『麺部屋 綱取物語』である。札幌でも1・2を争う肉欲を満たすことのできるラーメン店だ。
肉欲を満たす場所は、焼き肉やハンバーグやステーキだけではないのだ。
四の五の言わずに、実際にご覧いただこう。
異常なまでの大きさ。
狂気を含んだ厚さ。
『綱取物語』を語るうえで欠かせない、名物「横綱チャーシュー」。
箸で持とうにも、あまりに重い肉塊。
もう待てない。肉欲が穴という穴からもれだしてしまいそうだ。
体はでき上がっている。これを口いっぱいにほおばるために今までの時間があった。菊水湯での交互浴・サウナと水風呂のセッションで味覚はこれ以上ないほど鋭敏に研ぎ澄ましてきた。すべてはこのためなのだ。
麺やスープには目もくれず、可能な限りの大口で「横綱」を迎え入れる。思わず迎え舌になってしまうくらい待望の肉塊である。
くちょ。くちょ。
あっ、恥ずかしい。でも、口いっぱいに詰め込んじゃったから、唇が閉じない!
はしたない。食べる音が周りに聞こえちゃう!
ごめんなさい!ごめんなさい!
でも、この音は、分厚いチャーシューの肉汁と脂、そして、肉に含まれた味噌味のスープが口の中で混然一体となっている音なの!
ああ、恥ずかしい!でも、幸せ!
きゅむ。きゅむ
噛むのをやめられない!
噛みしめるたびにあふれ出てしまう!
うまみが!そして、とんでもないカロリーが!口の中で暴れまわっちゃう!いや、むしろ暴れまわって!
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帰り道。
菊水湯と綱取物語で満たされた肉欲によって、体が熱くてたまらなかった。
大雪に見舞われた札幌の道は、すでに溶けてぐちゃぐちゃだ。
気温のせいもあるだろう。
しかし、少なからず私の体温の影響もあるはずだ。
なにせ、熱くて熱くて、コートのチャック全開で帰ってきたにもかかわらず、お家に着いたら汗でびっちゃりだったのだから。
はー、うまかったー。
せん湯とごはんvol.1)豊平区美園『松竹湯』と豊平区美園『キッチン一力』
これほどまで難解な人生という長い旅路を、勝ちか負けかの単純な二層構造でできているとしか理解できないのに、自分は『勝ち組』だと恥ずかしげもなく信じて疑わないでいられるおめでたさを浮かべたような笑顔で、昨今のサウナブームの牽引者がインタビューに答えていた。
「僕は15,000円以上のお寿司を食べる前にはサウナに行くんですよ(笑)」(※引用ではありません。記憶です)
(笑)を使わなくてはいけない場面ほど、シリアスなとげが見え隠れする。これは、その事例の教科書だ。
口に入れれば身もだえするお寿司についてすら、数値化せねば、おいしさを表現できない。その単位は『¥』だ。
そこから垣間見えるトップサウナ―の自意識に目頭が熱くなる。
自称サウナの牽引者が美味しんぼ1巻『寿司の心』を読んでいれば、(わかりやすさを追求するサービス精神のあらわれとはいえ)短絡的に値段で味を表現するような下品なことをしなくて済んだはずだ。残念だ。
だが、サウナのトップランナーはこの記事で1つ的を射たことを言っていた。
「おふろ(サウナ)のあとの『ごはん』はうまい」
たしかにその通りだ。
すごくうまい。
それも暴力的にうまい。
非人道的にうまい。
理性がなくなり、人前で踊りだしたくなるほどうまい。
「これをあの人と食べたいな」と不意に思い、それがかなわない現実にほろりと涙がこぼれてしまうほどうまい。
サウナやおふろのあと、触覚、嗅覚が鋭くなっている実感はある。しずかな銭湯だと聴覚の感度も上がっている気がする。
ならば、味覚もまた同じなのかもしれない。
もちろん、私はただの「ニスタ」なので、科学的・医学的知見は持ち合わせていない。しかし、トップがお墨付きをくれている。だから、たぶん事実なのだろう。トップサウナ―はさすがトップだ。
ならば、私は己を高めてうまいものをもっとおいしく味わいたい。
なんせ人生はつらい。
つらいものを楽しもうというのだから、生きることは命がけだ。そんな挑戦の最大の味方はやはり充実した「食」による彩りだ。
おいしいもののためなら死ねる。
生きるためにする食事のために命をかけるという矛盾。そのいびつさが愛おしくてたまらない。
こんな不器用な自分を今後も抱きしめていくために、今(2020.2)万全の肉体で味わわなければならないお店が札幌にはある。
それが豊平区美園にある『キッチン一力(いちりき)』だ。
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『キッチン一力』は環状通沿いに長年営み続ける洋食店だ。隣にはチェーンの蕎麦屋が派手に立っている。そこもおいしいから、客としては(蕎麦に対する偏愛のため)選択に困る。だが、そんな迷いでは『キッチン一力』はびくともしない。
なにせ、一力はどれもこれもがうまい。
エビフライがうまい。
カニクリームコロッケがうまい。
ハンバーグがうまい。
ポークチャップがとんでもなくうまい。
つけ合わせのポテサラもまたうまい。
なにより、必ずついてくる味噌汁がうまい。
ほんだしの味噌汁しか飲んだことのなかった若いころの私は目玉が取れるかと思った。
唯一無二の洋食屋。それがキッチン一力だ。
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一力の2020年2月末の閉店の知らせは私を動揺させた。最近、足が遠のいていた自分をしばらく責めた。
だが、経営の悪化などが原因ではないみたいだ。それは当然だろう。なんせ、あの『一力』なのだから。
閉店はシェフの年齢的な問題らしい。
初めて一力を訪れた、まだ私がぴちぴちの若者だったときから、マスターはすでにおじいちゃんだった。
それからぷりぷりの若者には白髪が生え、髪が薄くなるほどの年月が経った。
仕方がない話だ。
とはいえ、もう2度と食べられないなんて……そう思うといても立ってもいられない。
だったら、一力が歩んできた歴史に敬意を払うべく、一番感度の高い私になって、最後の一力を味わおう。
自分のアンテナを高める。
豊平区美園。
だったら、あそこだ!
私は自分を高めるための場所を『松竹湯』に決めた。
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さつよく銭湯スタンプラリーを終えた私は、すっかり松竹湯に足を運ばなくなった。
理由はいたって簡単。
水風呂がないからだ。
やはりどうしても銭湯に水風呂を求める私がいる。そこに嘘はつけない。
だが、今回は「感度を高める」のが目的だ。水風呂はなくとも、松竹湯には水シャワーがある。
私が楽しまされるのではなく、私が楽しみにいく能動性が今はより求められる。アンテナを張り巡らせ、楽しみきったあと、研ぎ澄まされた状態になるのだ。
そして、これでもかと鋭敏になった私は肉汁でパンパンに膨れ上がったポークチャップを、かつてないほど敏感になった舌で味わうために大きくカットし、繊細な口いっぱいに放り込むのだ。
きっと、噛むたびにかつてないほどの味覚の洪水が脳髄に流れ込んでしまう。
想像するだけで気を失いそうだ。
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初めて松竹湯訪問のさいは、予備知識がなかった。そのため、水風呂がないことに驚いてしまい、細部を見ることができなかった。
しかし、今回は事前に雨が降ることを知っている。
ならば、心に傘を持っていけばいいだけだ。それも、お気に入りの傘を。そうすれば、雨はまるでこのスナフキン柄の傘を見るための舞台装置に早変わりしてしまうようだ。
そう思うと、なんだかスキップしてしまいそうだ。自転車だけど。
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改めて見てみると、松竹湯の浴場は記憶よりずっと広かった。
おそらく浴場の真ん中に置かれた桶と椅子を、なにかの設備と勘違いしていたからだろう。
そして、白い。
白い空間は非現実感を増す。精神と時の部屋効果だ。
まずは、体をスタンプラリー達成の景品でもらった『ケロリンあかすりタオル』でガシガシ洗う。これをさりげなく使うことで「玄人感」を演出できる。
ふふん。思わず鼻息が漏れる。
ピカピカになった体で主浴へ。
ジェットバスとバイブラと寝湯が一体化した、おそらく当時(いつかはわからない)の最新型だ。ストレスの少ない湯温。
ほどよく温まったら、首筋に冷水シャワーをあてる。
ちんちんだ。
そりゃそうだ。ここは北国札幌。本気を出した水がぬるいわけがない。
よいぞよいぞ。
そして、飲料水。
少しひねるとぶっしゃーと飛び散る。0か100しか加減できない不器用さに自分を重ねる。まだ少し鈍感な口の中に容赦なく水をぶち当てる。冷水シャワーよりずっとぬるい。体に水分がなじむ。
次は電気風呂。ふむ、ゆるい。いける。今の私は君のよさが少しわかるよ。あのころとは違うんだ。大人になったって思ってくれるかい?(アラフォー)
さ、いよいよ、スチームサウナだ。
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むはっ。
白いガラス部屋が、白い蒸気で満ちている。設置された三脚の椅子も白い。
熱はそこまで高くない。でも、足元まであたたかい。天井が低いからだろうか。
椅子に座り、目を閉じる。やや下を向き、蒸気が噴出される音に集中する。
うん。高まる。高まってる。
マイルドゆえに、サウナ室の中で感度の上昇を感じる。音がクリアになる。サウナ室の外の咳払いが聞こえる。わき腹を流れ落ちる汗の道筋がわかる。
いいぞ、いいぞ。
汗の流れた場所を指で確かめる。
やん。
敏感にもほどがある。だが、これはいい兆候だ。ちょっとすりすりしてみよう。
……え?
……垢出てない?
いや、これ垢だよね?
待ってよ!さっきゴリゴリにこすったってば!ケロリンぞ?ケロリンのアカスリタオルぞ?
すりすり。
あ、だめだこれ。垢だ。
すっと立ち上がり、冷水シャワーをカットし、カランに戻る。今度はちょっとタオルでこすってみよう。
すりすり(腕)
ばりばりばりばりばりばりばり
えー?なんでー?なんなんだこれ!ぎゃー、全身じゃねえか!こすればこするほど垢がボロボロ落ちていく!
心の中の仗助が叫ぶ。
「億泰!もうやめろ!肉までえぐれてる!集めた垢がソフトボールくらいになっちまってる!」
ぎゃー!!!!軽い!!
仗助!今までこんなことなかったのに、お肌がしっとりぷるぷるなんだ!
というか、俺、億泰じゃねえぞ、仗助!あと、他人の垢を集めて丸められるって、すげえな仗助。
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思わぬ脱皮を終えた私はまたスチームサウナに戻る。
すりすり。
よし、今度は垢は出ねえな。
なんでだろう?このスチームになんかあるのかな?
くんくん。
あれ、さっき気がつかなかったけど、なんかにおいするかも?
ハッカ?
んー、確信は持てないけど、かすかになんかの匂いするなー。
はッ!!
敏感になってる!あたし、びんびんになっちゃってる!
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松竹湯をあとにする私の頭は、かつおだしの香る味噌汁に埋め尽くされている。いや、いりこかな?
脱皮を終えた今の私なら、どちらかを判断するなど、容易なことだろう。
サクサクの中のクリーム。その中のカニの種類だってわかるかもしれない。
長時間煮込まれたデミグラスソース。
肉汁で膨らんだ豚肉。
ペダルを踏む脚に力が入る。頬をなでる冷たい風は今の私にはごちそうだ。
そして、念願の瞬間。
嘘でしょッ!!
39,東区北27条 大学湯
「てめえら!この状態が今何を意味しているかわかるか!俺はど真ん中に立ったんだぞ!」
長州力は吠えた。
それはリングの『ど真ん中』という意味だけではない。新日本プロレスという会社の、レスラーたちの、男たちの、生き様の『ど真ん中』だ。
長州のこの言葉を思い出すと、つい最近、古い友人に激しく(怒気を含みながら)指摘された言葉がよぎる。
「いつまで変化球ばかりを投げ続けるつもりだ。そんなことばっかりやっているから、まっすぐ真ん中にボールが投げられなくなるんだよ!いい加減気づけよ!」
慣れない気づかい、へたくそなりの処世術、臆病な自尊心、尊大な羞恥心、体と心にへばりついたあれやこれを身にまとい、ど真ん中から少しずつ少しずつ外れてきた。
私はいつの間にかど真ん中にも、まっすぐにも、自分の思いを表現できなくなっていた。
長州や旧友は、私になにかを気づかせようとしている。
そのなにかとはなんなのだろう。考えども考えども、それ以上先に進むと危険だと思う地点から思考が進まない。進めない。
≪「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて、だれも奪いにこないのに鍵かけて守ってる。≫
長州の言葉。
旧友の言葉。
桜井さんの詩。
40手前の感情を揺さぶる数々のありったけの思い。その答えは、札幌の銭湯スタンプラリーのゴール地点『大学湯』が体現している。
悠然と、あるがままに。
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なじみのない土地だと、それだけ発見も多い。単純に私が方向音痴だから、たどり着くまでにいろいろとぐるぐるしなければいけない、ということでもある。チャリだし。
大学湯。
不思議なネーミングだ。しかし、この迷い道のおかげで、名前の由来らしき場所に行きつく。
『大学村の森』
今まで、その存在すら知らなかった森。だが、ここは公園ではない。間違いなく「森」だ。はからずも入浴前に森林浴をすることとなる。
おふろと自然との親和性は高い。フィナーレへの序曲としてこれほどふさわしいものがあるだろうか。
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大学湯はバンダイスタイル。きれいなおかみさんが「ぎりぎりでしたねー」とスタンプラリーの達成をささやかにお祝いしてくれる。
脱衣所の時点で清掃がいきわたっていることがわかる。
浴場に入って驚く。
主浴。
副湯。
以上。
これほど潔い銭湯はあったか。最後の最後、大学湯は思い出させてくれる。銭湯とはおふろに入りに来る場所なのだ。
おふろに入ることは「ハレ」の出来事ではない。日常の営みだ。特別ではない。多くの自宅では味わえない、サウナ、薬湯、ロウリュ、打たせ湯、水風呂などの素晴らしい設備。それらは日常の中にある非日常だ。
「ケ」の日。
かつて、日常とは「ケ」の連続だった。その「ケ」の日をささやかに彩るのが銭湯だった。
思わず口笛が吹きたくなる。
『これが銭湯のど真ん中だったんだ』
最小限の必要なもの。それ以外は余計な装飾品だと言わんばかりのたたずまい。ここが、原点だったのだ。
ーーーーーー
目地の1つ1つまでいきわたった清掃に頭を下げる。
主浴は熱め。副湯はそれよりも少しぬるめ。
セッション?
いやいやいやいや。
いやいやいやいや。
ここにあるのは「ほへー」だけだ。
足の伸ばせる風呂で「やれやれ」と思いながら、日々の疲れを深い深い呼吸でやり過ごす。体にまとわるどこまでも透き通るあたたかいお湯の中で「まっいっか」とうそぶく。
こんな日々くり返しながら、我々は人生の荒波を乗り越え続けてきた。これからもこの日常が続くといい。そんなささやかな願いを自然に祈ってしまう。
「ほへー」
そう呟き、ふと壁の掲示物に目を向ける。
『ブラックシリカで、波動の力を!』
ね。波動の力だよね。
きっとこの荘厳な気持ちや鮮やかな感動は波動の力のおかげだよね。
……
……え?
…………波動の力?
ーーーーーー
胸に込み上げてくる達成感と満足感を抱えて、大学湯をあとにする。そして、もう1度『大学村の森』へと向かう。
風に揺れる緑が耳に届く。
すべてが埋まったスタンプラリー。
葉の隙間からもれる光が冊子を照らす。
「ああ、これでおしまいか」と少しだけさみしさも込み上げる。
最後が大学湯でよかった。
このスタンプの数の経験が、多くの銭湯のよさを味わえる体を作ってくれた。
たしかに設備や、サービスが充実していれば、最高だ。だが、喜びや満足はいつも外側ではなく、内側にある。満たされた場所でしか満たされない。それはきっとさみしい人生だ。
大学湯が体現し続けるストロングスタイルは、まさに『今の私』に足りないものだった。それを受け取るだけの器。きっとスタンプラリーの序盤に来ていたら、理解できなかったのではないだろうか。
このスタンプラリーを通じて得たのはシンプルな結論だ。
『人生は楽しませてもらうよりも、楽しむ側に』
いらないものを身にまとうのではなく、必要なものだけを持ち、可能な限り、ど真ん中に、まっすぐと楽しんでいきたい。
なんせ、人生はただでさえつらい。つらい人生を楽しもうというのだから、それはきっと命がけの挑戦だ。そのために、銭湯はいいパートナーになってくれる。たぶん。
この日から私は銭湯初心者からおふろニスタとなった。
これからも私は気の向くまま、いろいろな場所で裸になっていく。きっとポロリもあるはずだ。楽しみにしていてほしい。
(了)
38,東区北17条 美香保湯
かつて一世を風靡した養老孟司さんの『バカの壁』をご存じだろうか?
「知っているよ、バカにするんじゃあないよ」という声が聞こえてきそうだが、内容を超絶簡略化して説明する。
「バカは『知っている』と思うと、それ以上新しい発見をしようとも、見ようともしなくなる。どんな物事も見方を変えれば多くの新しい発見があるのに。ここを越えられるかがバカとそうじゃない人との壁だよねー」
耳が痛い。
私はすぐいっぱしを気取って、自分の知っていることがすべてだと思い込む節がある。
しかし、今回伝えたいのはここではない。
「自分は変わらないと言いつつも、10年前と同じものは1つとしてない。人間の細胞は変わり続ける。変わらないもの。それは『情報』なのだ」(引用ではなく思い出して書いてます。間違っていたら許して)
これもまた『バカの壁』で書かれた主題の1つである。情報(データ)は変わらない。人間は変わる。
変わらないデータ。それは私みたいなつまらない人生を送ってきた中年男性にもある。
喜多の湯の項で書いたことをもう1度書こう。
今まであったわずかな私の色恋は東区に集約される。
情報は変わらない。
東区。それは私にとってもっとも心の距離が遠い土地だ。
ーーーーーー
スタンプラリー終了まであと2つ。東区の銭湯だけが残ってしまった。かつては毎日のように通った東区。今は昔の物語が未だ重くのしかかる。
足取りと心持ちを重くしながら美香保湯の暖簾をくぐる。
ロビーに待ち構えているのはおかみさんと、そして、バカみたいにデカい時計だった。
直径1mはある。まるで、雷の落ちる時計台の時計のような……1.21ジゴワット……
私はかつてこの時計を見たことがある。
そう、中央区『鶴の湯』。あそこは銭湯を超越した場所だった。昭和初期にまでタイムスリップできるタイムマシンそのもの。
もしや……美香保湯もなのか……美香保湯でもタイムリープしてしまうのか、俺は……しかも、東区で……
一抹の不安がよぎる。
ーーーーーー
脱衣所には真っ黒いロッカーが並ぶ。黒塗りのデカいものを見ると心が湧きたつ。胸の奥底の幼心に火がつく。小学生がビームに憧れるような、中学生がドクロを愛すような、理由のない思い。
突然、頭の中にQUEENの『Good Old-Fashioned Lover Boy(懐かしのラバーボーイ)』が流れ始める。中学生のころ、狂ったように聞いていたベストアルバム『グレーテストヒッツ』の中に入っていた1曲だ。
うーらー
うーらーばーぼーい
わっちゅですな へいぼーい
音楽が流れ始めたのなら、ここはもう私だけのライブ会場だ。変わらない情報、抱きしめきれない過去などにはかまっていられない。
私は素っ裸だ。隠すものは何もない。
れーろー。(れーろー)
れれれろれれろろー。(れれれろれれろろー)
ーーーーーー
ぎゃー
主浴に足を踏み入れた瞬間、フレディがすっ飛んでいった。この衝撃は久しぶりだ。
手稲区は藤の湯。北区は福の湯。豊平区は鷹の湯。
あつ湯なんて言葉では足りない、熱湯(ねっとう)を持つ銭湯たちに並ぶ熱湯。
逃げろ。回避だ。
1人用の水風呂へと避難するとマイルドひえひえが待ち構えていた。あぶないあぶない。まるごと持っていかれるところだった。
これだからやめられない。
こういうふいうちがたまらないんだよね。もー、昔の話は昔の話にして、いろいろと体験しないとさー、いい大人なんだから、言い訳ばっかうまくなってさー、やらない理由見つけるのはもーいいじゃなーい。ってか、この副湯、超ぬるじゃない?この温度差はあれっしょー、押してダメならひいてみろ的な、あれっしょ?いやだわー、まんまと術中にはまっちゃってるじゃないのー、ジュッチュウニハマチャッテンジャナイノヨ、ジュッチュウハックハマッチャンテノヨー
ジュッチュウハック
ハックシチジュウニ
シチニジュウシ
ジュウシマツ!
オレジュウシマツ!
サウナの前にニルヴァーナがやってきた。早い。体がちょろくなりすぎている。
ーーーーーー
サウナは狭めの汗が出るタイプだ。
しかし、最初の快楽が忘れられず、サウナの回数はそこそこに『熱湯⇒水風呂⇒超ぬる⇒休憩』のサイクルにどっぷりはまってしまっていた。
メモにはこう書いてある。
「3回トブ」
美香保湯を語るのに、言葉はこれだけで十分だ。
ーーーーーー
帰り際、自転車にまたがった私の胸には、抱きしめきれない過去への思いなどすっかり消え失せていた。
養老先生は言う。
「情報(データ)は変わらない」
その通りだ。上書きをしようが、シュレッダーにかけようが、その情報(データ)が書き変わったわけではない。見えなくなっただけだ。
しかし、その情報(データ)の読み解き方は刻一刻と変化し続けている。その情報(記憶)を読む私も、あのときの私ではすでにない。
もしかしたら、美香保湯訪問は変えられない過去を見つめる自分の成長を確認する作業だったのかもしれない。
札幌市内各地を巡る銭湯の旅は自分の歩みを辿る旅そのものだ。
……ん?
結局、どんな過去だったって?
若いころに2回東区の女性にフラれたよってだけの話ですけど、なにか?
次回最終回、東区北27条『大学湯』