③
また近所に熊が出た。
診察へ向かう途中の豊平川沿い。熊の目撃情報が続く。
熊に襲われたいとは思わないが、熊に襲われて後悔しないとしたら今かもしれない。
そんなことを考えながら、ペダルをこぐ。あんなに遠くまで、どこまででも一緒に走った自転車が重い。
休憩がてら、ぼーっと豊平川を眺める。
植物はきれいに刈られている。熊が隠れるためのちょうどいい場所がここにはもうない。
目線を自分の座っている斜面へと移す。
つくしがそこかしこに生えている。
俺が知らなかっただけで春はもう来ていた。
「そういえば、つくしって食べたことあったっけかな……」
今まで沈黙を貫いていた好奇心が突然話しかけてきた。
だが、いっぱいのつくしを抱え診察にのぞむわけにはいかない。
そのあとにはよくないことが起こる。おかしくなってきている頭でもそれくらいわかる。
「だったら帰りに摘んで帰るかな」
冷静な判断だ。
今日の生きる意味ができた。
ーーーーーー
診察終わりの帰り道。
有料であっても、大きなビニール袋が必要だった。
その程度に薬が増えた。
そして、投薬だけの治療では限界があることを知った。
暗いニュースが続く。
ただ、私には(今日は)生きる理由がある。
ーーーーーー
つくしを摘んでいるのは私しかいない。
豊平川のほとり。
犬の散歩道。
せめてもの抵抗で斜面のきついところを狙っていく。
ぱきぱきと折れる感触がおもしろい。そもそもつくしって何なのかすら私は知らない。何かの子どもの姿?大きくなるとつくしは非つくし的なものになるのだろうか?
つくしについてこれほどまでに知識がないことに気がつく。自分の愚かさが『今の自分』を肯定してくれているようでどこかほっとする。
夢中でつくしを摘んでいると赤い草が目についた。周りの草に比べて、不自然に赤い。
「これ、たぶん食べれるやつだな」
マスクがあってよかった。たぶん声に出していたから。
周りに人はいたかな。どうかな。でも、指をさされ、蔑まれ、嘲笑われてはいなかった気がする。たぶん。
調べてみると、この植物は『イタドリ』というそうだ。
茎の皮を剥いて中を食べる。だが、若い芽の部分はアクが少なくさっとゆでるだけで(気にしなければ生でも)食べられる。
増えたお薬を入れていたビニール袋から薬を取り出し、パンパンになるまでつくしとイタドリを摘んだ。
薬が増えたのはこのためかもしれない。
ーーーーーー
つくしの、ハカマと呼ばれる王冠のような形をしたベルト部分を取る作業には難儀した。イタドリは若い芽ばかりを摘んだので下処理が少ない。
たっぷり時間をかけて、草を山菜へと変化させる。
袋にパンパンだった量も、可食部と非可食部(とめんどくさくて捨ててしまった可食部)に分けるとこじんまりした山におさまった。
沸騰したお湯で20秒ほどさっと湯がくとさらに縮こまった。
それを自分の姿と重ね合わせて少し残念に思った。
ーーーーーー
つくしを食べる。
苦い。
その舌が感じた命に対する違和感が生きている実感を強調する。
イタドリを食べる。
ぬるぬるして、ちょっとすっぱい。苦味は少ない。
道端の雑草だと言わなければ、「健康への意識が高い人たちがこぞって食べている」という誤情報に騙される人がいそうな味わいだ。
下茹でしたそれらの山菜は、ゆでた豚バラ肉とともにポン酢をかけて食べきった。
久しぶりにちょっと笑ったかもしれない。
ーーーーーー
今は春だ。それが味覚によっても理解できた。
春が去ってしまう前に、春に会えて本当によかった。そう思った。
①
壊れてしまった。
どこかの時点で体と心が悲鳴を上げていたらしいのだが、わからなかった。自分の痛みにあまりに鈍感すぎて、気がついたらもはや手遅れということが私の人生にはあまりに多い。
自分に対して興味がないままここまで来てしまったツケだ。
修復には最低でも3か月はかかるという。
3か月。
季節が1つ過ぎ去る時間。考えると途方に暮れる。
今は、『生きる』ことに体と心をなじませることから始めなくてはならない。でも、生きることに対して前向きになれない。
生きるのに目的だったり、意味だったり、理由だったり、そんなあれやこれが必要なときはおおむね生きるだけでも厳しい。
そして、問題なのが今の私には、目的も意味も理由もどこを見回しても見つからないことだ。
生きることが難しい。
だからこそ、生きる意味がいるのに、それが見当たらない。
「そもそも生きるのに意味なんてありません。生きる目的や理由なんてなくてもいいんです」
頭の中のカウンセラーが肩を抱きながらそう慰めてくれる。
だのに生きる理由が『今』『切実に』必要なのはなぜなんだ。それからまたはじめから思考がぐるぐると同じ場所をたどる。役に立たないカウンセラーがいつも同じところで同じ場所を抱きながら同じことを言ってくる。彼は俺と同じ顔をしている。
ずいぶん長い間笑顔を浮かべていない。
自分の機嫌が自分でとれない。
銭湯にも行けない。
髪だけが伸びる。
おふろを持たないおふろニスタと、彼の巡礼の年 BOOK2)北海道虻田郡京極町 京極温泉
『週末の旅人』という言葉をご存じだろうか。
月曜日にもかかわらず、週末の旅のことを考え始めると、そぞろ神の物につきて心を狂わせ、道祖神の招きにあって、取るもの手につかず、千里に灸をすえちゃうような存在をそう呼ぶ。今決めた。
そんな週末の旅人からDMがきた。
「おふろ二スタさん、市外への自粛はまだ続けていますか?一緒に京極温泉に行きませんか?」
かいろさんである。
※かいろさんとの珍道中は下記リンクのメープルロッジ編に記載しているので確認してほしい。
かつて私は京極で罪を犯した。
20年くらい前のバイク旅行でテンションの上がった私は友人とともにセイコマートで買ったボルビックを吹き出し公園の湧き水にぶちまけるというテロを敢行した。
※くわしくは下記リンクで
あの日、あの時、あの場所での出来事が今日に繋がるのはたしかだが、犯してきた罪と過ちの分、ライムして償います神様。
震える手でかいろさんに返信をした。
『OKです』
今こそ贖罪のときだ。ついに行こうか、京極温泉。
ーーーーーー
かいろさんは、今回の京極温泉が北海道温泉巡りスタンプラリー記念すべき50湯目だという。
リンクを見ていただいただろうか?
この温泉巡りスタンプラリーの開始は「2021.6.1」、今日は「2021.11.28」だ。
この間、土日は『51日』しかない。
さらに彼は「北海道スマホスタンプラリー 」で『270か所』、「札幌銭湯スタンプラリー」で『12か所』、「北海道の道の駅のスタンプラリー | 北の道の駅」の『126か所全制覇』を同時進行で達成している。(2021.11.28現在)
鷹の湯の前に停まった車に乗り込むと週末の旅人は言う。
「おふろ二スタさん、お久しぶりです!僕、来週は知床に行きます」
出会いしな、そう笑顔で語る彼の目の奥は漆黒に染まっていた。
……やはり狂人であったか
ーーーーーー
とはいえ、狂人と奇人には共通の話題が多い。
美春湯さんがツイッターで珍しく感情をあらわにしたツイートに感銘を受けたこと。
組合を抜けたあとの共栄湯さんのバイタリティ。
札幌のサウナブームの隆盛と、いまいち乗り切れない私たちについて。
水風呂のボーイズ・ライフさんのnoteが楽しみなこと。
ジャスティス・ケンさんが出演するYouTubeサウナーズハイTVに札幌の銭湯活性化への期待があること。
親方に対して思うところがありすぎて親方界隈に警戒心があること。だけど、親方は会ったらおもしろい人に決まっているから警戒したままでいるために会いたくないこと。
話題は尽きない。
「ところで、おふろ二スタさん。京極温泉に行く前に吹き出し公園に行きますか?いった後に行きますか?」
狂人は私のブログを読んでいる。
「知っているんだね?」
「はい、京極のプリンスですよね」
「うん、京極のプリンスなんだ」
狂奇の旅はまだ始まったばかりだ。
ーーーーーー
「羊蹄の水、道の駅で買う方向でいいですか?」
かいろさんは言う。送り迎えまでしてもらった上に、やらんとしていることまで先読みしてくれる。
「いいよ。でも、道の駅でわざわざ水買う人いるのかね。裏で汲み放題なのにさ」
「ああ、もしかしたらないかもしれないですね」
「なかったら申し訳ないけど、近くのコンビニまでよろしくね」
「はい、わかりました」
これではまるで執事ではないか。
ーーーーーー
「ええ、水を買う人はよくいるんですよ。汲みに行くのがめんどくさいみたいで」
柔和な女性店員の方がそう教えてくれた。ものぐさな人たちのおかげで私の贖罪はスムーズに遂行される。風が吹けば桶屋が儲かる。そういうものだ。
道の駅から吹き出し公園まではつり橋を渡ってすぐだ。
揺れるつり橋。
ドキドキする。
「けっこう怖いですね」
「怖いね」
ドキドキする。
そうか、これがつり橋効果か。
ーーーーーー
ついに来た贖罪のとき。
京極の名水越しの京極の名水。
あのときのボルビック分には500mL足りないけれど、京極の名水をより京極の名水たらしめる崇高な儀式の始まりだ。
ひゃっはー
汚物は消毒だー
陽気なギャングよろしく水をあたりにぶちまけ、すっきりした気分で振り返るとかいろさんが満面の笑顔だ。
「いやあ、水をぶちまけるのって気持ちいいですね」
あれ?
……
…………
かいろさん、お前も(やったの)か。
しかし、これで500mL×2となった。20年前にぶちまけたボルビックと量がそろった。
プラマイゼロ。
完璧だ。これで、吹き出し公園の湧き水は20年の時を経て完璧な吹き出し公園の湧き水へと戻ることができた。
味を確かめるべく、空になったペットボトルに京極の名水を汲んで飲んでみる。
さっきまでの京極の名水より3段階アップしている。うまみに関しては5ランク、すっきりさにかけては8カラット、輝き方にしては3ルクス、震度ではマグニチュード0.0021ほど変わった。
戻ったぞ!
いや、あのころを越えたぞ!
この日を境に京極の名水は超京極の名水となった。京極の名水よりももっと京極の名水だ。もしあなたが京極の吹き出し公園に行く機会があったら飲んでみてほしい。
だが、もう2度と吹き出し公園の湧き水をボルビックで汚染してはならない。そんなことをするやつは人間の恥だ。ぺっぺっぺっ
ーーーーーーー
吹き出し公園からほど近く。露天風呂から蝦夷富士をのぞくロケーションに京極温泉はある。
到着して真っ先に北海道温泉巡りスタンプラリー50湯目の記録を取りに行くかいろさんの背中はなんだかうきうきしていた。
ーーーーーー
脱衣所をぬけ、浴場に足を踏み入れると思わず声が出る。
まるで大きなゲルのような円形の浴場。高い天井の頂点から放射状にドームが形成されている。
ドーム状の天井と平面の壁とのつなぎ目はすべて窓だ。
今は正午近く。
ドームの頂点のさらにその先の天頂にいる太陽はどんなにがんばっても私たちを直接照らすことができない。
ゆえに巨大なゲルは陰影に満たされている。
目線を下げると水風呂が2つ。冷たい水風呂とぬるい水風呂。札幌ではつきさむ温泉のみ味わえる水風呂のはしご酒。
おそらく露天に行けば羊蹄山が見えるはずだ。水風呂は羊蹄の湧き水のはずだ。ぬるい水風呂は温泉のかけながしだろう。
まだ何も体験していないにもかかわらず期待に胸が高鳴る。
これもまたつり橋効果だろうか。
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体を清めてからの主浴。あっさりとした温泉を目いっぱい味わうために手足を伸ばす。興奮が加速する。
交代浴。
水風呂は極めて冷たい。ちんちんだ。表記は8℃から12℃となっている。体が覚醒し始める。だが、まだ始まりに過ぎない。初手で水風呂のはしご酒はしない。それは体を高めてからのお楽しみだ。
次はジャグジー。少しぬるめ。顔を上に向けるとドームの中心に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
そして、ちんちんの水風呂。刺激によって天井の幻惑がとける。
現実に戻った体を次は薬湯で満たす。
温泉にバスクリンが混ざっている。かつて札幌にあった山鼻温泉 屯田湯の不器用さを思い出す。それで少しセンチメンタルな気分になる。
さらに水風呂。悲しみなど一瞬で消失してしまうちんちんの水風呂。
「じゃあ、かいろさん行こうか」
「はい」
内風呂だけで満足してしまいそうだが、我々にはまだ露天風呂が残っている。
ーーーーーー
扉を開くと見渡す限りの青空が広がっている。
右手に顔を向けると蝦夷富士。成層火山の円錐形の頂上には雪化粧が施され、裸の男たちを見下ろしている。
体には初冬の空気がまとわりつく。
上半身を北国の厳しさにさらし、下半身を露天風呂に沈める。
露天に来るまでの交代浴が体の感度をあげている。
晴天に体が溶けていく。
ーーーーーー
とろけた体をさらにとろかすためにサウナはある。
しっとりと湿度があるやさしめのサウナ室では寂聴先生が長生きのコツを話していらっしゃった。
「私、51歳から出家してセックスしてないでしょ?興奮する機会がなくなったから、長生きできてるんだと思うのよ。こんなの本には書けないわね」
さすが寂ねえさんだ。
裸の男たちは寂ねえの長寿の秘訣をどんな気持ちで聞いているのだろう?そう思って周りを見回す。だが、黙浴は男たちの胸の内をベールで包みこんでいる。
やさしく隠された秘密。
『秘すれば花』を体得した裸の男たちは、微動だにせず画面の中で満面の笑みを浮かべる寂ねえを見つめる。
ーーーーーー
ついにこのときがきた。
水風呂のはしご酒。
おりゅうさんがつきさむ温泉で「キンキンの水風呂入ってからぬるい水ぶろ入るとあったかいんですよね!」とうれしそうにおっしゃっていたことを思い出す。
そうなのだ。
水風呂のはしご酒をすると水風呂なのに水が温かく感じるバグが起こる。バグると気持ちがいい。
頭がバグる。体がバグる。
バグった狂人とバグった奇人。なんと非合法な響きだろうか。だがこれは合法だ。
ちょいと1回のつもりで入って、いつの間にやらはしご酒だ。
気がつきゃ露天のベンチでごろ寝。
これじゃ体にいいわきゃないよ。
わかっちゃいるけどやめられねえ。
わかっちゃいえるけどやめられねえッ!!あっ、ほーれ!
ーーーーーー
償いの旅は非合法めいた合法的な行為で幕を閉じた。
「京極の名水を京極の名水に混ぜたら何か罪になるのかな?」
「何かしらの条例に引っ掛かったりするんですかね?」
「5万円の罰金とかになったら文句は言わないで払おうね」
「京極の名水を京極の名水にぶちまけた罪で罰金払ったら一生自慢できますね」
狂人と奇人の会話を理解してもらうのは難しいかもしれない。それでも話の種は尽きない。
京極温泉のすばらしき水風呂はしご酒。それを札幌で味わえるつきさむ温泉のぜいたくさとちょっとお高いからこその客層のよさ。
サウナイキタイの札幌(北海道)勢の盛り上がり。
月見湯のInstagramのレスポンスの丁寧さとサウナブームに乗りつつ、銭湯としての在り方を保っているバランスのよさ。
チームなまら銭湯の3人が作っている新聞やイベントから感じる銭湯に対する愛情深さ。若者たちが札幌の銭湯を継承していく未来への期待感。
まだまだ我々には話すべきことがあり、行くべき場所がありそうだ。
札幌の、北海道の、温浴関係者やファンはそれぞれの愛し方でそれぞれの場所を愛している。深かろうと、浅かろうと、愛し方がうまかろうと、下手であろうと、愛し続けることで生まれる物語が確かにある。
そんな物語を私は札幌の片隅でぼんやりと眺めていたい。できうれば、このように細々と書き留め続けられたらいいな、と願っている。
extra14)豊平区豊平 鷹の湯
冬の始まりにはきまって男の子の日が始まる。きまってだ。
体の中に澱がたまり、心の中で血が流れる。笑顔でいるためにはふだんと違う筋肉を使うし、なぜ自分が生きているのかの意味が必要になる。でも、意味なんて見つかるわけもなく、さらに見えない血が流れることになる。
男の子の日が始まったら耳をふさいで寝込むことしかできない。
歯を磨くのも、お風呂に入るのも苦痛だ。ふさいだ耳の中に雑音が聞こえる。そんな声なんて聞きたくないから、スマホを使って怒りを探し出す。
間違っている自分を見たくないから、自分より間違っている(ように見える)人を見つけに行く。もしくは、「こいつは間違っているぞ!」と声高に叫ぶ何者かが指摘する人を見に行く。
怒っている人たちとともに怒りを奮い立たせる。怒りほど生命を輝かせる感情はない。
ただその輝きは何も照らさない。
社会正義を振りかざしている人たちの中に自分の身を置いても、自分こそが社会正義の名において裁かれる存在だ。
どこにもたどり着かない思考が布団の中を巡る。
だが、私は知っている。
この思考は熱に弱い。45℃以上の熱に溶ける。
男の子の日に流れるのはメタファーとしての血だ。比喩としての澱だ。その事実に申し訳なさを感じながらやっとの思いで立ち上がる。
雨が降っている。体も重い。遠くまで行ける気がしない。
そんなときに近所の銭湯が救いだ。
ーーーーーー
いつもの場所に、いつもと違う時間に訪れる。
月見湯のステッカーが貼られた自転車がとまっている。
それを見てマスクの下で少し笑う。いつもと同じ筋肉を使った笑顔だと思う。
ーーーーーー
燃料の高騰が激しい。
熱湯を維持する鷹の湯にいらぬリスクがかかる。「いっそやめてしまえば楽になれるのに」そんな思いも浮かぶ。でも、私には熱で溶かさねばならぬ暗喩があり、そのためにはそれ相応の高温がいる。今まで通りの鷹の湯がいつまでもそこにあってほしいと思う。
ーーーーーー
17時の鷹の湯もいつも通りの熱湯を用意してくれている。
バイブラで煮立つ湯の表面に泡がはじける。そこに光が反射され、白銀に光る。繰り返される乱反射が高い天井に吸い込まれる。見上げると天井に開いた小さな穴に真っ暗な夜空がのぞく。
よくないたとえたちが溶けていく。
そしてゆるんだ頭を水風呂でしめる。光の屈折によって透明なはずの水が淡い色合いの変化を見せる。
体に輪郭ができる。17時にして、ようやく。
ーーーーーー
鷹の湯のサウナ室の温度も最近は上がっている。
だが、熱くなったとはいえ、鷹の湯のサウナはやわらかだ。熱湯の容赦のなさで体をあたためたあとでも、ゆるやかに発汗できる。
熱湯と水風呂の繰り返しの果てに待つサウナ室での穏やかな時間。ボイラーの音しかしない。のんびりと熱に身をゆだねる。
腕に流れる汗の玉を見つめる。
汗は毛穴から出る。
そんなあたりまえの事実すら目の当たりにするまで気がつかない自分のうかつさすらどうでもよくなる。
汗は毛穴から出る。
それだけでいい。それいがいのじじつはいらない。
あせはけあなからでる。
ーーーーーー
鷹の湯を出ても、雨は変わらず降っていった。
でも、少しだけ男の子の日は軽くなった気がする。
気だけでいい。
何もしなければ、布団の上で腐っていただけだ。
時間は19時。
1日が始まるには少し遅い時間だが、1日がはじまっただけでよしとするか。
私には生きている意味なんていらない。汗が毛穴から出るという事実に比べたらそんなものとるに足らない。それを忘れなければ、これからも男の子の日とうまく付き合っていけるかもしれないと思った。