札幌(とか)の銭湯を(おふろニスタが)行く

家が火事になりましてね。風呂がないんですよ。で、チャリで札幌の銭湯を巡っていたら、いつの間にかおふろニスタになっていました。中年男性がお風呂が好きだと叫ぶだけのブログです。

壊れてしまった。

どこかの時点で体と心が悲鳴を上げていたらしいのだが、わからなかった。自分の痛みにあまりに鈍感すぎて、気がついたらもはや手遅れということが私の人生にはあまりに多い。

自分に対して興味がないままここまで来てしまったツケだ。

修復には最低でも3か月はかかるという。

3か月。

季節が1つ過ぎ去る時間。考えると途方に暮れる。

今は、『生きる』ことに体と心をなじませることから始めなくてはならない。でも、生きることに対して前向きになれない。

生きるのに目的だったり、意味だったり、理由だったり、そんなあれやこれが必要なときはおおむね生きるだけでも厳しい。

そして、問題なのが今の私には、目的も意味も理由もどこを見回しても見つからないことだ。

生きることが難しい。

だからこそ、生きる意味がいるのに、それが見当たらない。

「そもそも生きるのに意味なんてありません。生きる目的や理由なんてなくてもいいんです」

頭の中のカウンセラーが肩を抱きながらそう慰めてくれる。

だのに生きる理由が『今』『切実に』必要なのはなぜなんだ。それからまたはじめから思考がぐるぐると同じ場所をたどる。役に立たないカウンセラーがいつも同じところで同じ場所を抱きながら同じことを言ってくる。彼は俺と同じ顔をしている。

ずいぶん長い間笑顔を浮かべていない。

自分の機嫌が自分でとれない。

銭湯にも行けない。

髪だけが伸びる。