高校時代の学校祭を思い出す。
なにやら楽しそうに出し物の準備をしているクラスメイトたち。輪の外からその陽気な雰囲気を斜に構えて眺めている私。
ニコーリフレは行こうと考えただけで、あのころの私に戻ってしまう不思議な場所だ。
掛け声。
裸のにぎやかな男たち。
輪の外に自分がいるような感覚。
それでもニコーリフレに行きたい。
私だって、陽気な音楽を聴き、カンカンと照る太陽の真下、水着を着て、ビーチでBBQをしてみたい。
その輪に興味がないわけじゃない。興味がないふりをしないとやっていられないだけなのだ。
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3時間コースのお金を払い、ロッカーでおふろ用のメガネを忘れたことに気づく。
こうなると私は何も見えない。足元もおぼつかない。形の認識ができない。1m先の人の顔に目と鼻と口がついているのかついていないのかすらわからない。
だが、これでいいのかもしれない。
なんの視覚情報も受け取れないのだから、自分の『体験』のみに意識を集中できる。
見えないという不自由が、私をニコーリフレでたびたび感じる疎外感を薄めてくれる予感がする。
身にまとうはタオル1枚と、カギ1つ。『万平サウナ音頭』をBGMに体も心も丸出しむき出しでいこう。
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おっ、お湯の温度がちょうどいい。
激烈に熱い湯は、水風呂との交互浴をはかどらせてくれる。だが、ことニコーリフレにおいては、そんな温度設定にしてしまうとせっかくのサウナが台無しになってしまう。
熱い湯は「ほーう」にとどめ、ジャグジーもぬる湯も「はわよーん」だ。
すべてはサウナを全力で盛り上げるためのもの。それに気がつき驚く。
派手な演出にばかり目がいくが、メインディッシュをよりよく味わうための心配りがされている。
星の王子様のキツネの言葉がよみがえる。
『かんじんなことは目に見えないんだよ』
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「マスクタオルとバスタオルの着用をお願いいたします」
アウフグースを受けるためのマナーが増えている。それも時代との兼ね合いと心配りのたまものだ。
サウナ室はすぐに忍者の装いの男たちでいっぱいになる。どうせ見えやしないから、と目を閉じて静かにアウフグースを待つ。
そして始まる熱波師の口上。
空気の旋回。
背中を抜ける熱い風。
蒸気の上昇と下降。
こじ開けられる穴。
ねじ込まれる熱気。
やっぱりすげえ。
1人1人にぶち当てられる熱風。
「1・2・サウナー」
「1・2・サウナー」
この掛け声が苦手なんだよな、と斜に構え、目をつぶりながら自分の番を待つ。
「1・2・サウナー」
「1・2・サウナー」
そして、向けられる熱波。
目を開けると必死にタオルを振る熱波師の方の顔が見えた。視力がほとんどない私にもわかる必死な表情。
「1・2・サウナー」
「1・2・サウナー」
やがて1人10発の熱波が始まる。
ああ、そうか。
毎日こんなにタオルを振り続けりゃ、肩も壊れる。熱さの中で激しい運動をし続けてりゃ、涼しい顔なんか作れやしない。
それでも、熱波師の仕事は続く。
その姿をぼんやりした視界にとらえ続ける。
そして、思わず手拍子を打っている自分に気がつく。
がんばれ、がんばれ。
心まで熱くなっている。
私はこれまでいつでも傍観者だった。
でも、ニコーリフレのサウナ室で、私は確かに輪の中にいた。
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アウフグースが終わり、水風呂へと急ぐ。
ちんちんに冷え切った大きな水風呂。
アイスストームだ。
ダイヤキュートだ。
ぱよえーんだ。
ぱよえーん
ぱよえーん
ぱよえーん
パヨエーン
パヨエーン
そりゃあキマりますよ。
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札幌市の温浴施設が次々に閉店していく。
サウナブームをけん引するニコーリフレは、多くのサウナ者を札幌市に生んでいる。このニコーリフレが作り出す『輪』が、サウナ者たちの住むそれぞれの地域の温浴施設へと続いてくれることを願っている。
サウナはいい。そして、そのサウナを十全に引き出すためのおふろもいい。
それぞれがその素晴らしさを、日々のルーティーンの中に取り入れ、地元の温浴施設や銭湯に足を運んでくれやしないだろうか。
業界全体の活性化が悲しい連鎖を止めてくれると信じたい。
勇気を出して入る水風呂は、自分の生活を変えるかもしれない。ニコーリフレに行けばそれがわかる。そして、その喜びが地域の銭湯を救うかもしれない。
どこの『輪』もきっと優しく私たちを迎え入れてくれるはずだ。そんな場所をこれからもたくさん残していきたいと心から思う。