札幌(とか)の銭湯を(おふろニスタが)行く

家が火事になりましてね。風呂がないんですよ。で、チャリで札幌の銭湯を巡っていたら、いつの間にかおふろニスタになっていました。中年男性がお風呂が好きだと叫ぶだけのブログです。

おふろを持たないおふろニスタと、彼の巡礼の年 BOOK1)札幌市南区小金湯 湯元小金湯

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今から20年前、私がまだ無軌道な若者だったころ。羊蹄山のふもとでの愚行をときどき思い出す。

羊蹄ふきだし公園。

羊蹄山の名水がこんこんと湧き出す名水の里。高校時代、友人(通称『京極のプリンス』)はその水の味をことあるごとに自慢していた。

「札幌の水はちょっとなぁ」

それを聞き、「へぇ、そうなんだぁ。お前、うるせぇなぁ」と思っていたものだ。

そんな高校生だったある日、バイクの免許を取ったばかりの同級生が私に言う。

「行こうぜ」

「……ああ、行こうぜ」

間髪入れずにそう答えた私に、彼は目をあわせてにやりと笑った。それは『プリンス』の尊厳を踏みにじらんとする下卑た笑みだった。

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ゼファーはいいバイクだ。

羊蹄山へと続く道はどこまでも広く、ゼファーのまわりを風は撫でつけ、エンジンはどこまでもなめらかだった。

そして、背負っている鞄の中で、セイコーマートで買ったペットボトルがちゃぷちゃぷとなっている。

無敵だと思った。

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到着した羊蹄ふきだし公園。先客は初老の男性が1名。夏の陽光が木々の隙間を縫って、北海道有数の名水に降り注ぐ。

思わず見とれる光景だった。しかし、私たちにはやるべきことがある。

私は鞄から1Lのペットボトルを取り出し、ラベルを確認する。

Volvic

そこからの狂乱はよく覚えていない。

『ひゃっはー!』

と叫んだかもしれない。

『俺たちはテロリストだッ!!』

とのたまったかもしれない。

何かを叫びながら、私たちはボルビック1Lを羊蹄ふきだし公園の湧き水にまき散らしてしまった。

その愚挙を聞いた『京極のプリンス』は激怒した。

「なんてことすんだお前らは!ぜったいに許さんッ!!」

あれから20年、プリンスの怒りはまだ続いている。

キレる世代と呼ばれた私たちの許されざる夏の記憶だ。

せん湯とごはんvol.3)白石区東札幌『共栄湯』と豊平区豊平『やきとり真』 このエピソードはこちらが初出です

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「京極……か」

疲れた体を布団にうずめていると、思わずそうつぶやいていた。

今年のお盆はいつもよりも時間がある。

あのとき、純度を下げてしまった1Lの過ち。

それを20年経った今、取り戻したい。

せめてプラマイ0にはしたい。できるならば、京極のプリンスに許しを請いたい。

そのためには「京極の名水」1Lをセイコーマートで購入し、羊蹄ふきだし公園に丁重にまかなければならない。

八百万の神に捧げる御神酒のように。

よし、行こう、京極へ。

チャリで。

そして、京極温泉でトベばよかろうなのだーーーッ!!!

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出発の日の札幌はどんよりと曇っていた。どうやら午後からは雨になるらしい。

むこう数日の天気予報も芳しくない。

不安定な天候は片頭痛の予感を連れてきている。

前日までの疲れがじんましんとめっぱを呼び込んでいる。

やらない理由ならいくらでも見つかる。

だが、そんな日を何度も何度も繰り返して、たどり着いてしまった今だ。

やるか逃げるかどうする。

やるか逃げるかどうする。

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豊平川沿いのサイクリングロードを上流へと進む。国道230号線へと至り、ゆるやかな坂を上り続ける。その間、ずっとあたりに不穏な空気が漂う。

湿気。

雨の匂い。

それでも進み続けると、降雨と断言できない程度の霧雨が訪れる。

少しずつ、だが確実に心がへし曲がる。

札幌の広さがうらめしい。まだ私は市内から脱出することすらできていない。

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豊滝のバス停であまやどりをする。もちろんスヌーピーのハンカチを貸してくれる女性などいない。

そもそも誰もいない。

俺はここから50km走り続けられるだろうか。雨の中、中山峠を越えられるだろうか。

小賢しい計算が頭の中で始まる。あきらめが心を支配しようとしている。妥協という名の打算へ心が傾いている。論理的逃避を肯定しつつある自分が苦々しい。

今までの自分の人生を辿るような思考の道筋。

気がつくと私はすぐそばの『湯元小金湯』へと自転車を走らせていた。

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私の記憶の小金湯はこんなにおしゃれなフォントを使ってはいなかったような気がする。

古い記憶だ。自分の昔を辿る機会がずいぶん多いことに驚く。

露天風呂改修中につき、100円引き。

今の私にふさわしいアナウンスだ。

心に張り付く敗北感と数々のいいわけ。こんなものを抱えて、小金湯の全力のもてなしを受けるわけにはいかない。これほどまでに消極的な理由での訪問など、失礼極まる。

それを「しょうがない」と心でつぶやくのを止められない私に、大改修が終わったピカピカな露天風呂での出迎えは過剰というものだ。

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合羽、シャツ、ズボン、パンツ、脱衣所で脱ぐそのすべてが汗と雨と苦汁で濡れている。大人だから涙が出ていないのがせめてもの救いだ。

40℃少しの硫化水素が香る主浴。ジャグジー、超ぬる湯、キンキン水風呂。

そのすべてが私に充足を与えようと頑張ってくれている。だが、それを素直に受け取ることができない。「快」に身を委ねようとすればするほど、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

それでもなお、私は小金湯に来ている。楽しむことがマナーだ。礼儀まで捨て去ってしまったつもりはない。

貸し切りのミストサウナの中で、なんとなく壺をのぞきこむ。すると突然熱い湯気が顔面を襲う。曇るメガネを外し、すぐ横にある注意書きを見ると「のぞいちゃダメ!」と書かれている。

ちょっと笑いながら「だよねー」とつぶやくと体の中に充満する不穏が少しだけ外に出始める。

水風呂で体を冷やし、ドライサウナへと向かう。

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薄暗いサウナのテレビにはNHKが流れていた。

相撲や野球以外でNHKの番組がサウナのTVに映るというのは実は珍しい。(札幌近郊)

画面の中では、世界的に有名な指揮者が地方の中学校の吹奏楽部の指導をしていた。そんなせっかくの機会なのに、部にはインフルエンザの猛威が振るっているらしい。

休まざるを得ない優秀な演奏者と、残された2番手・3番手。

「どうしてあいつじゃなく、俺が休まないんだ」

そんなセリフを中学2年生がもらす。胸が締め付けられる。

トラブルに見舞われ、部員たちは多くの変更に対応せざるを得ない。世界的指揮者は柔軟なのだ。そして、そのフレキシブルさに振り回されるのはいつも兵隊だ。

無理やり陽の光の下に引っ張り出される日陰者。小さな世界のNo.1でいられなくなった女王たち。

どうなるんだ。

この子たちはどうなってしまうんだ!

でも、あっちいの!

続きが気になるけど、むりー!

あぁ、みずぶろきもちぃい。

ほふわぁ、ぶへぶへ。

って言ってる場合じゃねえ!

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日陰者の母は言う。

「どうしても成功よりも失敗して傷ついてほしくないと思ってしまうんです」

その後ろで日陰者はうつむいて笑う。何度も自分のさみしさをごまかしてきた者の笑いだ。

「ソロは自分の吹き方があるから、一緒に吹くのは違和感がある。正直やりにくい」と女王は言う。

「あの子のソロは独特だから、合わせるのは難しい」ともう1人の女王は言う。

その間に挟まれた少女は「個性の強い2人があたることも多い。本当はとても怖い」と言う。

それでも発表会は近づく。

どんな発表になるんだろう。

でも、無理なんだってばぁー

ちょっとー、なんなのー。

どうなっちゃうのよー。はぁぁ、みずぶろきもちぃいい。

ぶはぁ、ここでぬるゆなんだけど、そったらこといってるばあいじゃねえよー

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「私たちが代わりに吹いてもいいですか」

本番当日インフルエンザで倒れた低音部のパートリーダーの代打を自ら世界的指揮者に打診する部員たち。

「いいだろう、さぁ練習だ」

本番。

彼らが今まで届かなかったレベルの演奏。

女王は振り返る。

「今まで私は、私のために演奏をしていた。でも、私の演奏でみんなを輝かせられる」

日陰者は言う。

「いい演奏ができたと思います」

その後ろにいる母の姿を見つけると、駆け寄り、こらえてきた涙があふれだす。

「音楽は言葉を越える」

そうだ。

げんかいをきめてしまうのはいつもじぶんだ。

トドクノダ

キミタチノテハソコマデトドクノダ

アトオジサンモトドイチャッテタ

オジサンモ

キモチイイトコロニ

イツノマニカ

キチャッテター!!

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ブラバンニルヴァーナに達した後、超ぬる湯、硫化水素の匂いが綺羅星のようにきらめいた。

大満足だ。

これでよかったのだ。

これがよかったのだ。

ケセラセラ

なるようになる

明日は見えない

お楽しみ。

というではないか。

オブラディオブラダ

らいふごーずおん

らららららいふごーずおん

というではないか。

そんな気持ちで小金湯をあとにしようとした瞬間だった。

「あんた、自転車かい?道べちゃべちゃだし、雨じゃんじゃん降ってるよ」

……おばちゃん、見えているよ。改めて言うんじゃないよ。

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こうして京極巡礼の旅は遠のいた。

だが、いつの日か、道内屈指の名水と再会しようと思う。

……再会すると思う。

再会するんじゃないかな。

ま、ちょっと覚悟はしておけ。

⇒BOOK2へ続く【たぶん】